二幕 憑き物筋 7

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 移動時間と距離は比例する。しかし、その速さは当然の如くまちまちだ。短い時間で長い距離を移動できることもあれば、その逆もまた然り。今回は明らかに後者だった。地図上で見ればそこまで遠くはない。それでも、実際に目的地に辿り着いたのは、日付こそ跨がなかったものの、辺りはすっかり暗くなっていた。加えて、香澄が言っていた通りの田舎風景は、ぽつぽつと申し訳程度の街灯があるだけで、場所によっては真っ暗としか表現出来ない程だった。もっと交通の便が発達していれば、同じ時間で倍の距離を移動できたのではないだろうか。迎えの車の中で、充貴はそんなことを思った。
 香澄の生家から最も近い交通機関は一日に数回しか止まらないバス停で、そこに辿り着く為のバスは、既にその日の運行を終えていた。これが無人駅というやつかと、駅員のいない小ぢんまりとした木造の駅舎を見渡し、どうするのだろうかと充貴が思っていると、香澄の兄だという男が車で迎えにやって来た。
 第一印象は、田舎に似つかわしくない、だった。都会の洗練された雰囲気を感じさせ、都会のオフィス街で細身のスーツを颯爽と着こなしている、そんな想像に違和感がない。すらりとした体躯に、身に付けているのは清潔そうな白いシャツ、銀フレームの眼鏡をかけたその顔は、細い顎と切れ長の目、どこか硬質な印象を受ける。悠(はるか)という彼の名は、その印象に反して柔らかだった。
 悠は、月彦達を一目見て顔を顰めた。そして香澄に非難の目を向ける。それだけで、予想はしていたが、歓迎されていないことがわかった。月彦は、こういう場合の対処法について思考を巡らせる。色んな意味で閉ざされた、鄙びた土地は、往々にして余所者に対して閉鎖的だ。害成す者と判断すれば、徹底的に排除にかかる。酷いところでは、初めから受け入れない。一応身内である香澄が仲介していることもあって、早々にお引取り願うということはないようだが、それでも慎重になるべきだろう。

 三十分程車に揺られ、辿り着いた家は、かなりの敷地面積があり、それに見合う建物が存在していた。自身もそれなりに大きな家に住んでいる充貴でさえ、広いと感嘆せざるを得ない。だが、少しばかりの対抗心か、田舎とでは地代が違うと、心の中で誰に対してでもなく言い訳をする。瓦屋根のついた立派な門を過ぎる時、そこに取り付けられた表札に一ノ木と書かれているのが見えた。
 夜も遅く、もう皆眠っているだろうから、明日紹介すると言い、香澄は月彦達を母屋から独立した離れに案内した。
「ここを使ってください。お風呂とトイレも付いていますので、不自由はないと思います」
 そこは、男三人が寝泊りするには充分過ぎる広さで、高級な旅館を思わせた。床の間には蛇がのたくったような字の掛け軸と、梅と鶯が描かれた壷が飾られている。何か、由緒あるものなのだろうかと、乏しい知識で考えてみる。そして、そういえばと、充貴は他の二人に目を向けた。骨董屋を営んでいるのだから、こういうことは専門家だろう。後で聞いてみようかと考える。しかし、聞いてこれが値の張るものだとわかったら、妙な精神的圧力がかかってしまいそうだった。
「では明日。お休みなさい」
 香澄が出て行き、離れには三人だけになった。
「こんなとこで男三人か、色気が無いな」
 嫌そうに呟き、嘉月は盛大に欠伸をする。移動中あれだけ眠っていても、どうやらまだ睡眠を欲しているらしい。
「そもそも、今この場所で色気なんてものを求める方が間違ってます」
 諭す月彦の言葉は尤もで、だからか嘉月も言い返さない。
 ここへ、一ノ木家に来た目的は、色恋なんてものとは無縁だ。真逆と言っていいかもしれない。ツキモノと色恋が対義語の関係にあるなんて思っているわけではないが。
「とりあえず、今日はもう遅いですから、寝ましょうか」
 長時間の移動で疲労していたこともあり、月彦の提案に反論する者はいなかった。

 交代で風呂に入り、布団に潜り込む。小さな白熱灯だけが灯り、天井の木目を妖しげに浮かび上がらせた。かつて、それを恐ろしいと思ったことがあったと、充貴は天井を見詰めながら思う。自然の偶然が作り上げた奇妙な模様は、名もわからぬ怪物のようで、眠ってしまえばその口を大きく開き、幼い自分を一飲みにしてしまうのではないか。今思えば馬鹿げた恐怖で、眠れぬ夜を過ごしたものだった。朝、結局何も起こらないことを知ると、安堵すると同時に何故かがっかりした自分がいて、どうやら期待していたらしいと苦笑する。幼い自分は、未知への恐怖と、そして、期待を持っていた。成長と共に、それはいつしか失われていって、突然に突き付けられれば、疑念ばかりを思うのだ。とても単純に、感情が働いていた頃が懐かしい。戻りたいとは思わないけれど、一種の憧憬のようなものを抱いてしまう。
 目を瞑り、眠りに落ちようと試みる。こんなふうに感傷的になってしまうのは、慣れない環境の所為だろうか。
 勢いだけで、こんなところまで来てしまった。現状から目を逸らす為、流されてしまいたいという己の弱さか、それとも、現状の不確かさを少しでも明確にしたいという前向きさか。どちらが自分をここに存在させているのだろう。
 鬱々と悩む充貴に、睡魔は襲ってこない。どうにも眠れないと、上体を起こすと、小さく息を吐いた。左に目を向ければ、すっかり寝入っている月彦と嘉月の姿があった。月彦はともかく、移動中寝っ放しだった嘉月は一番に寝息を立て始めたのには呆れた。余程昨夜の睡眠が足りていなかったのだろうか、それとも相当図太い神経の持ち主なのか。充貴には後者としか思えなかった。そして、嘉月程ではないにしろ、ちょっとした環境の変化で眠れなくなるような、その手の繊細さとは無縁だと思っていた自分が、身体は疲労している筈なのにこうして眠れずにいることに呆れる。
 散歩でもしてこよう、そう思い立って充貴は寝床から抜け出した。出口から最も遠い位置に寝ていたので、二人を起こさないように注意する。抜き足差し足で外に出ると、流石に夜の空気は冷たかった。剥き出しの腕は俄かに鳥肌が立ち、充貴は凌ぐように掌で擦った。何か羽織るものを持ってこようかと考える。しかし、態々戻るのも面倒で、荷物を漁る音で中にいる二人を起こしてしまうかもしれない。少し歩けば身体も温まるだろう。そんな希望的観測を元に、充貴は見知らぬ庭に歩を進めた。
 門を潜ってこの離れまでは、母屋を介すことなく辿り着ける。それが意図された構造なのかはわからないが、そこには拒絶の意思が垣間見られるような気がして、良い気分はしない。夜空を見上げれば、やけに細い月が、まるで嘲っているように見下ろしていた。
 帰り道がわからなくなってはいけないと、離れの周りをうろうろしていたが、少しくらいという冒険心が働いて、母屋の方に進んでみる。ゆっくりゆっくりと地を踏む音は、極微量でありながら、耳にははっきりと伝わってくる。何故か静寂を強要されているような気になって、極力足音を立てないように注意した。
 暫く歩くと、人の話し声が聞こえた気がして立ち止まった。どこから聞こえてくるのか、方向を確認する為に耳を澄ます。一人は女の声、もう一人は男の声で、雰囲気から言い争いをしているようだった。ちょっとした悪戯心が働いて、内容を聞き取ろうと声の方へ近付いてみる。すると、声の主は知っている人物だった。
「いいから言う通りにしろ」
「嫌よ、彼らにはここにいて貰うわ」
「お前は一体何を考えているんだ。どうせ面白半分で家を引っ掻き回す厄介者だぞ」
「いいじゃない。その方が清々するわ」
「清々するだと? 馬鹿なことを言うな」
「馬鹿なことなんかじゃないわ。私は母親なのよ。守る価値もない家の秘密とやらより、娘の方が大事だわ」
「何もそんなことを言ってるんじゃない。……おい、待て! ……香澄!」
 香澄と悠の言い争いは香澄が去るという形で終わったようだ。知らず張り詰めていた空気を解すように、充貴は意識して息を吐き出した。
 今の会話を聞く限り、悠は充貴達のことを快く思っていない。否、それどころか、疎ましく思っているようだ。直ぐにでも追い返したいのだろう。聞こえる前の会話では、悠が香澄に帰らせるように命じていたのだと思われる。しかし、香澄はそれを拒否した。他人に家の事情を引っ掻き回されたくないという悠の言い分はよくわかる。同じ立場に立たされたら、充貴もそう思うだろう。では何故、香澄はそれを望むのだろうか。しかも、それが娘を守ることに繋がるという。
 全くもって、充貴には理解できなかった。唯一つわかったことは、歓迎されていないということ。疎ましく思われているということ。
 これから数日間、そんな状態でどうやってここで過ごせばいいのか。考えれば憂鬱になる。
 結局、眠りを誘う為に散歩に出た筈なのに、益々眠れなくなるという本末転倒な事態に陥って、布団の中で矢鱈と寝返りを打って夜を過ごした。



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