二幕 憑き物筋 6

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 時間は、意識すればその通りに、しなければ瞬く間に過ぎていく。まだ先のことだと思っていたのは十日も前で、気付けばその日になっていた。
 友達と旅行に行く、充貴がそう言えば母親は簡単に納得した。この前の満月の日、前回と同じように蔵に籠もり、月彦から買ったお守りですっかり良くなっていると思い込んでいる母に、事実を伝えることは出来なかった。母の中では、ずっと頭を悩ませていた厄介事は一足先に終わっていた。実際は何も解決していないのに。晴れ晴れと友人と食事に出掛ける母は、充貴にとって皮肉に感じた。
 数日分の着替えを詰めた鞄を持ち、階段を下りる。不謹慎にも、少し楽しみに思っていることを自覚する。ちょっとした息抜きのような、本当に旅行気分だ。こんなことではないと、軽く頭を振ってみるけれど、効果は得られなかった。

 玄関で靴を履いていると、丁度高校から下校した弟が帰って来た。
「お帰り」
 玄関を空けた瞬間飛び込んできた兄の姿に、弟はわかりやすいくらいはっきりと顔を顰めた。
「勉強どうだ? 捗っているか?」
 高校三年生の晃は受験生だ。夏を過ぎたこの時期は、正に追い込みの段階だろう。
 話し掛ける充貴に、晃は何の反応もしない。急いで靴を脱ぎ捨てると、存在を無視して充貴の脇を擦り抜けた。
「晃!」
 きっと止まらない、諦めを含めて名を呼び、振り返れば、やはりその通り。既にその姿はそこになかった。
 頭を振っても何の効果もなかったのに、こんなにも簡単に気分が落ち込んだ。これも皮肉かと、自嘲するように笑みを零す。鞄を持って立ち上がり、玄関の扉を開ける。閉めると同時に、溜息が出た。



 駅で待ち合わせた香澄は、小さな少女を連れていた。四歳になるという彼女の娘だろう。見知らぬ男三人を目の前にして、明らかに怯えた様子を見せていた。
「初めまして」
 母の後ろに隠れるように、こちらを窺う少女に、月彦はしゃがんで目線を合わせ、にこりと笑んだ。それに対し、少女は頬を赤く染め、慌てたように母親のスカートに顔を埋めた。
「僕は月彦と言います」
そろそろと、顔を上げ、躊躇いながらも母の影から一歩踏み出す。それでも、母のスカートをきゅっと握ったままの小さな手が、傍から見ると微笑ましい。
「つき?」
「はい」
「つきの、おにいちゃん?」
「そう呼んで頂いて構いませんよ」

「相変わらず、老若男女にもてるな」
 二歩程距離を置いた後ろから見ていた嘉月は、感心したように呟いた。傍に立っていた充貴の耳が、それを拾う。
 まさか、と思う。相手はまだ四歳の女の子だ。幾ら月彦が綺麗な顔をしていようとも、色恋に目覚める歳ではあるまい。しかし、そう考える充貴を否定するように、小さな少女はもじもじと身体を揺すり、生命線のように握っていた母のスカートから手を放して、月彦の前に寄っていく。恐る恐る差し出した手を、月彦が握れば、恥ずかしそうな、それでいてどこか満足そうな笑みを浮かべた。少女の手を取る月彦の姿は、さながら姫君に跪く騎士のようで、彼女はこの綺麗な顔をして、子供の自分にも丁寧な態度を崩さない月彦をお気に召したようだった。
 女は、生まれた時から既に女だという。男女の違いもわからないように見える幼い少女も、立派に女なのだ。
「俺のことは月の小父ちゃんとでも呼んでくれていいぞ」
 二歩の距離を詰めた嘉月が、少女の頭を撫でながら、その顔を覗き込むように笑いかけた。それに、月彦の時と同じように、頬を染めた。
「自分だってそうじゃないか」
 この後、少女が自分を見てどういう反応をするのか。二人のようにはならないことが容易に想像出来て、充貴は複雑な気分になった。何も、四歳の女の子に男として好かれたいとか、そんなことを思っているわけではないのに。あるのは下らない対抗心だ。それを振り払うように、充貴は少女の宣告を聞きに向かった。

 すっかり気に入られた月彦は、少女、茅乃が疲れて眠ってしまうまで、ずっと相手をしていた。無闇に愛想を振り撒くからこうなるんだと、密かに良い気味だとほくそ笑む。
 結局予想通りに、茅野は充貴を見ても赤くなることはなかった。想定していたことだ、それは別にいい。ただ、月彦が月のお兄ちゃんで、嘉月が月の小父さん、そして、充貴だけが、充貴と、呼び捨てなのが、些か納得いかない。充貴が自分で名前を言う前に、嘉月がこいつは充貴だと茅乃に言うと、素直にそのまま受け入れたらしく、充貴と、そう呼んだ。子供に呼び捨てにされることが、どうしても我慢ならないと思っているわけではない。だから、態々敬称を付けるように言い包めようとは考えない。ただ、やはり呼ばれる度に、少しの理不尽さを感じずにはいられない。
 けれど意外なことに、月彦は茅乃の相手を嫌がってはいないようだった。自分の容姿が他に与える影響をわかっていて、笑顔を振り撒いて相手を懐柔し、時には操縦する。そんな人間が子供の相手など、絶対に嫌がりそうなものなのに。
 起こさぬように小さな声で謝りながら、はしゃぎ眠ってしまった娘を受けとる香澄と、何でもないと首を振って茅乃を渡す月彦の様子をぼんやり見詰め、充貴は月彦という人間について考えを巡らした。
 考えるといっても、充貴は月彦のことをほとんど知らない。初めて会ってから、まだ一月も経っていないのだ。しかも、顔を合わせたのは数える程しかない。それなのに、月彦は充貴の中に強烈な印象を残している。これまでで知り得た事を列挙してみれば、高校生で、有名な進学校に通っていて、叔父がいて、家は骨董屋をしている。それだけだ。
 否、もう一つあった。ツキモノについて調べている、ということ。それも趣味で。
 言われた時には腹が立ったが、改めて考えてみると疑問に思う。退屈だから、それは、色んなことの動機になり得る。時にそれは小さな親切だったり、背凄惨な事件だったり。だから、退屈を紛らわす為、それは立派な動機だった。しかし、その為に、休日を潰し、態々移動に何時間もかかる場所に赴くのは、高校生である月彦にとって、割りに合うとは思えない。友達と遊んだり、彼女とデートをしたりとか、他に優先したいことがあるのが普通ではないだろうか。
 そこまで考えて、彼女、で思考が脱線する。いるだろうか。確実にもてるだろうことはわかる。しかし、特定の恋人となると、いないような気がした。女心というものを理解しているとは露程も思ってはいないが、女の立場になったとして、自分より綺麗な顔をした男の隣を歩きたいだろうか。言うなれば、月彦は観賞用で、実用には向かない、そんな気がする。
「僕の顔、何か付いてますか?」
 急に月彦の顔が目の前にあって、充貴は慌てた。どうやら席を移ってきたらしい。その途中、自分の顔をじっと見ている充貴を訝しんで、こうして話し掛けたようだった。
「い、いやっ、何でもない」
 覗き込むようにしている月彦は、随分と近くにいて、そんな気はなくともどぎまぎしてしまう。嘉月が言っていた、老若男女にもてるという台詞通りに、若い男の充貴に対しても、月彦の顔は絶大な効果があると認めざるを得ない。
 月彦は納得のいかない顔をしていたが、突っ込む程に興味はないらしく、充貴から目を逸らして向かい側の座席に座った。そして、自分の荷物から文庫本を開き、目を落とす。
 それから暫く、沈黙が支配した。嘉月はひたすら眠っていたし、月彦は本に没頭して、外部を遮断している。充貴といえば、手持ち無沙汰で時間を持て余し、眠ろうにも眠れず、向かいに座っている二人の様子を見たり、通路を挟んだ隣の座席にいる香澄と茅乃に目を向けたりした。香澄は毛布代わりに茅乃に掛けた上着を掛け直し、そっと頭を撫でていた。良い母子の見本のようなその光景が、何だか眩しく思えた。
「一つ、聞きたいことがあるんですが」
 唐突に、思い出したというように、月彦は香澄に問い掛けた。眠っている茅乃を気にしてか、その声は決して大きくはない。
「はい、何か?」
 応じる香澄も、同様に声を抑えている。
「引継ぎの儀式、というのは具体的にどのようなことをするのでしょうか?」
「それは……」
 香澄は口篭り答えない。言い辛いことなのだろうか。助けに入るべきかと、充貴は逡巡する。
「実は、知らないの。代々の当主だけの内密なことらしくて」
「では、今では知る人はいないのですか?」
 恐らく、それは口伝で伝えられていたのだろう。儀式の前に、次期当主を選び、そこでやっと伝えられる。だとしたら、亡くなった当主、彩女は、まだ次期当主を選ぶ必要のなかったのだから、当然誰にも伝えていないのだろう。口伝という秘匿性を重んじたが故、永遠に隠されたものになってしまったということか。
「いえ、恐らく、伯父が知っていると思う」
「伯父というと、家長の役割をしているという?」
「ええ、そう。実質的に、伯父が当主のようなものだから」
 儀式の内容、それを知ることに意味があるのか、充貴にはよくわからない。わからないながらも、ある一つの情報から、儀式について想像できることはある。
「多分簡単な事なんじゃないか?」
「何故そう思うんですか?」
 唐突に口を挟んだ充貴に、月彦は冷静にその理由を聞き返す。
「だってさ、当主は一番若い者が選ばれるんだろう? その、彩女ちゃんだっけ、五年前は六歳だったんだから、六歳の子供でも出来るような事じゃないといけないだろう?」
「それは、そうですね」
 納得する月彦に、充貴は少し得意になって続けた。
「例えばほら、白いびらびらしたやつ振ったりとかさ」
「……大幣、のことですか?」
「おおぬさ?」
「神主が持っている白い紙の付いた祓いに使う道具のことです」
「ああ、それそれ。そんな名前なの? よく知ってるな、そんなこと」
 感心する充貴の様子に、月彦は溜息を一つ吐くと、香澄に目を向けた。こちらの話を聞いて、笑っているのではと思ったが、反して香澄はどことなく青褪めた様子で下を向いていた。
「香澄さん? どうかしましたか?」
 月彦の言葉に、つられて充貴も香澄を見る。声を掛けられて我に返ったように、はっと顔を上げた。
「な、何でもないわ。ちょっと、疲れたみたいだから、寝るわね」
 どうしたんだろう、そう思ってはみても、目を瞑ってしまった香澄に話し掛けることは出来ない。代わりに月彦に目を向けると、こちらは難しい顔で何やら考え込んでいた。
「何だよ、どうかしたのか?」
「いえ、大したことじゃありません」
 充貴が聞いても、身のある答えは得られない。充貴は不貞腐れ、背凭れに体重を預けて目を瞑った。
 結局その後、目的地に着くまで無言が続いた。



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