二幕 憑き物筋 5

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「というわけで、来週金曜の五時にここに来い」
 香澄が帰った後、大した説明もなしに嘉月は言った。月彦は元々ここに住んでいる。当然言われたのは充貴だ。
「というわけでって……もうちょっと何か、説明とかないのか?」
「別にそう気張ることもない。気楽な旅行気分でいればいい」
「気楽な旅行って……大体、調査ってどういうことだよ。ここは骨董屋だろう?」
「それについては俺に聞くな」
 嘉月は顎で月彦を示し、消えていた筈の缶ビールを手にして飲み始めた。一体どこに隠していたのだろうか。手品と言われても納得してしまうかもしれない。それくらい、いつの間にか消えていて、当たり前のようにまた手にしている。感嘆か、それとも呆れか、恐らく後者の理由で月彦は軽く息を吐くと、話を引き継ぐように充貴を見た。
「確かにここは骨董を扱う店ですが、副業といいますか、ツキモノの調査のようなことをしているんです」
「憑き物の調査? 副業で?」
「そうです。古い物というのは色々と曰くがあるもので、一応本業の延長、という形でやっています」
「それって、付喪神とかいうやつか?」
「よくご存知ですね。長く使われた物には年月を経て魂が宿り、それを付喪神と呼ぶそうです。一般的には憑き物とは別のものとして解釈されています」
「じゃあ付喪神は調べないってこと?」
「こういった類のものは、どこで線を引くか、非常に曖昧なんです。分類され別の名で呼ばれているものが、実は同じものを指しているということもありますし、一般的に言われている憑き物に当て嵌まるかどうかで、調査対象を厳選するということはありません」
「へえ、具体的にはどうすんの?」
「これといって特別なことは何も。行って話を聞くくらいです」
「そんだけ? お祓いとかは?」
「あくまで調査ですから、そういったことは専門外です。それに、調査も民俗学者のように本格的にするわけじゃありませんし、所詮は真似事程度のものですから」
「何それ。そんなことやって意味あるのか?」
「実益を兼ね備えた趣味のようなものですからね。僕の知的好奇心を満たす、という意味はあります」
「趣味だって?」
 思わず声を荒げた充貴に、月彦はいきなりどうしたのだと問うように見詰めてくる。
 憔悴した顔の香澄が、縋るように頼んだのに、趣味だと、そう言うのか。所詮は真似事で、知的好奇心が満たされれば、それでいいと。それは、本当に悩み、追い詰められ、そうして助けを求めた者に対する態度だろうか。こんなことで彼女は救われる? 彼女の娘は?
 そして、自分は?
「意外ですね」
 無言で怒りを示す充貴に、月彦はどこか馬鹿にしたような響きで言った。
「貴方は共感してくれるものと思っていました」
「共感? するわけないじゃないか!」
「そうですか? なら聞きますが、貴方は退屈だと思ったことはありませんか?」
「それは……」
「繰り返す日常、変わり映えのない日々、面白味のない生活、思い通りにいかない世界」
 それはきっと、どこにでも存在する、当たり前の風景。当たり前過ぎて、退屈な、現実。きっと誰もが、一度くらい、そう考える。そして、
「そんな現状が、どうにかなればいい」
 どんなことでもいい。非日常な何か、非現実的な何か、そんなことがあれば、きっと、面白いのに。それは、他意のない、無邪気な感情。誰にでも覚えはある。勿論、充貴にも。
 退屈な日常の香辛料、求めるのはきっと、その程度の何か。誰かの不幸は、他の誰かにとって、その程度の何かになり得るのだ。それは否定しない。それは理解出来る。充貴にも、覚えのあることだから。
 ここで月彦に怒りをぶつけることは、自分を棚に上げて、ただの偽善だ。他の誰かじゃなく、不幸を感じている誰かに自分が当て嵌まってしまったから、立場が代わったから怒っているだけなのだ。
 充貴は心の内に怒りを押し込める。考えとして、正しいのは充貴の方だ。それはきっと、月彦もわかっている。だから、皮肉な笑みを浮かべて見ている月彦に対し、自尊心を守るために、口を噤む。
 そして、思うのだ。彼らが他の誰かの立場で、面白半分だというのなら、自分は、誰かの不幸を知っている自分は、香澄のために、全力を尽くそうと。



 充貴が帰ると、いつもの通り月籠には従業員の姿だけがあった。
「何で態々挑発するようなこと言ったんだ?」
 客が帰って早々、掃除を始めた月彦に嘉月は問い掛けた。
「その前に、どうして彼を引き入れたんですか?」
 問いに問いで返した月彦は、視線を向けることもないまま、掃除を続けている。
 そんな甥の様子に、気だるげに煙草の煙を燻らせながら、ソファの背に深く凭れた。室内灯の光が目に眩しい。天井に向かって煙を吐くと、それが遮られ、目に優しいような気がした。
「人手はあった方がいいだろう?」
「あり過ぎたって、邪魔なだけです」
「一人くらいどうってことないだろうが」
「単に自分の役目を押し付けたかっただけでしょう?」
 いつの間にか、月彦が嘉月を見下ろしていた。咥えたままの、短くなった煙草を奪い、灰皿に押し付ける。口寂しさか、無意識にシャツの胸ポケットを探り、新しい煙草を取り出そうとする。しかし、中身は既に空で、舌打ちをしてごみ箱に投げ捨てた。
「吸い過ぎです」
 入らなかったごみを拾い、月彦が小言を言う。
「酒が飲みたい」
「飲み過ぎです」
「……お前は人使いが荒いんだ」
 まるで子供のような愚痴を言う。月彦は掃除を再開させながら、呆れたように溜息を吐いた。
「で? 俺の質問に答えはないのか?」
「ああ言えば、少しは使えるようになるかと思いまして」
「はっ、酷い奴だな」
 悪びれもなく言い切る様に、心底可笑しそうに笑う。随分と、この小奇麗な甥は、狡賢いところだけ自分に似ている。いや、最早自分以上かもしれない。
 煙草を買う為に、嘉月は立ち上がって店の入口に向かう。
「そういえば、俺はいつから甥っ子の趣味の為に進んで協力する優しい叔父さんになったんだ?」
 揶揄するように笑い、出て行った。



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