二幕 憑き物筋 2

NOVEL HOME      INDEX   BACK NEXT



 長い黒髪には艶があり、つり気味の目には勝気な気質が窺えた。しかし、そこに浮かぶ憂いが、彼女の気質を殺している。隠しきれない翳りがその顔を覆い、眠れないのだろう、化粧で隠しきれない隈がうっすらと目の下に鎮座していた。
 骨董品屋を営むこの店に、その表情は不似合いだった。ここは、金を余らせているものが道楽を求める場所であり、身銭を削ってでも心の充足を得ようとするものが足繁く通う場所である。憂いを取り除くこと、それは本来この店が持つ役割の中に内包されてはいない。
 だから、彼女は骨董品屋、月籠の客ではない。

「ご無沙汰しております、嘉月さん」
 挨拶と共に頭を下げると、後ろに流されていた髪がさらさらと左右に零れ、白い項が露になった。許されるなら、そこに口付けたいものだと、男なら真っ当な願望を夢想させる。しかしそれが許されないことは、女の左薬指に填められた銀の指輪が物語っていた。それは既婚者であることの証明であって、他を排除する牽制の意味を持っている。そう普通は考えるだろう。だがどこの世にも例外というものはあって、常識が通用しないことがある。特に、その理不尽さを身をもって知っている者であるならば、進んでそちらに身を投じることも間々ある。だから、敢えてというように女の左手を取って、妖しく誘惑でもするように、指輪に口付けて見せるのも、そういうことなのだと解釈できる。
「お待ちしてました」
 月籠の店主であり月彦の叔父、嘉月は先程まで確かに持っていた筈の缶ビールを見事に消し去り、充貴に対峙していた時とは別人のように態度をがらりと変えて笑顔を見せた。先程の行為とその笑顔に、憔悴した中にもどこか頬を上気させ、女は嘉月に促されるままに奥の応接用のソファへと腰を下ろした。
 客が来たのだから尚更辞さなければという考えが働いて、充貴は暇する旨を月彦に伝えた。それを聞き、申し訳なさそうな顔をして後日と提案するのを適当に頷きながら、二度とここに来ることはないだろうと充貴は思った。自棄になっているという自覚はある。そして、それを自己批判するような気概は、既に持ち合わせていない。
 自嘲した笑みで去ろうとする充貴にずしりとした重みが圧し掛かる。客の女はどうしたのか、嘉月が充貴を引き止めたのだ。
「まあ待てよ」
 馴れ馴れしく首に腕を回し、内緒話をするように顔を近付ける嘉月に、充貴は何とか距離を置こうとするのだが、想像以上に力があるようでぴくりとも動かない。
「何なんですか?」
 倣うように声を潜めてしまう自身に腹を立て、睨み付ける充貴に嘉月はまあまあと宥めるように薄ら笑った。それに更にむっとして、乱暴に腕を振り払おうとするのだが、やはり力の差がそれを叶えない。
「信じさせてやるって言ったらどうする?」
「はあ?」
「ツキモノってやつの存在をさ」
「何を言って……」
「月彦が言っただろう。お前はツキモノを信じていない。だからうまいこといかなかったってよ」
「……確かに、信じてない。だけど信じたからってどうだっていうんだ。信じれば治るなんて保証はないし」
「治る治らないなんて話はどうでもいいさ。俺には関係ないからな。だがな、何事もやってみなきゃわからないだろう? もしかしたら治るかもしれないじゃないか」
「そんな勝手な! 大体、信じさせるなんて、そんなの無理に決まってる」
「出来るさ。流石にそのものを目の当たりにしたら信じざるを得ないだろうからな」
「そのもの?」
 嘉月の言葉には、仄かにアルコールが漂ってくる。まるで、相手を酔わせようとしているように。それは、ただ直前まで飲んでいたビールの所為に他ならないのだけれど、じわりじわりと、充貴の脳に侵攻していくように感じられた。
「いい加減にしてください。いつまで客を放って置くつもりですか?」
「お前は黙ってろ。ああそうだ、いつまでもお待たせするわけにはいかないから、お前が相手をしていろ」
 呆れる月彦に、嘉月は客の対応を押し付ける。客を通した場所は、一応衝立で遮られてはいるが、それは目隠し程度の役割しか果たしておらず、こうして小声で話していても、内容は伝わらないまでも、何かを話しているということは筒抜けだろう。嘉月が充貴をどうするつもりなのかわからないが、ここで問答を繰り広げることは客に失礼だ。嘉月の客なのだから嘉月が対応するのが普通だろうが、充貴の相手を終えるまで動く気はないんだろう。
 仕方ないと溜息を一つ吐いて、月彦は客の元へ向かった。
 それを横目で見ながら、邪魔者はいなくなったとばかりに、嘉月は口を開く。
「信じたいなら、自分の目で見るのが手っ取り早い方法だ。それをさせてやるよ」
「そんなこと……できる筈ない。在りもしないものを見るなんて」
 反論する充貴に、嘉月は馬鹿にするように鼻で笑う。
「お前は、自分で見聞きして知っているものしか、この世には存在しないとでも思っているのか? お前の小さくて狭い世界が、この世界の全てだと、本気で思っているのか?」
 世界は広く、世界は狭い。見知らぬ国も、見知らぬ星も、見知らぬ宇宙も、広大な一つの世界だ。そして、一人の人間が、自ら作り上げた塀で囲まれた、閉ざされた小さな空間、それも世界だ。二つの世界は、一方がもう一方の小さな要素を内包する、そんな決定的な格差関係があって、その規模はとても同列とは言えない。人は成長し、小さな世界は広がっていくけれど、どうしたってもう一つの世界には追いつけない。それが当たり前であることを、人は成長と共に知る。
「だったらもう何も言わねえよ。子供は家に帰って寝てな」
 ふっと肩の圧力が消える。瞬間的に、それを捕まえていた。
 子供だと揶揄されて、黙っていられるほど大人しい性格はしていない。それこそが子供のようで、それを利用するために嘉月が態と煽ったのだと、充貴は気付かない。
「信じさせてもらおうじゃないか」
 挑戦的な言葉に、腕を掴まれたままの嘉月は満足そうに、にやりと笑った。



NOVEL HOME      INDEX   BACK NEXT

Copyright © 2008- Mikaduki. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system