二幕 憑き物筋 1

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 月彦が学校から帰ると、店には珍しく客がいた。いつもは、ひやかしの常連客に月籠は閑古鳥を飼っている、そう揶揄されるほどの客入りだ。
 月彦が学校に行っている間は、当然の如く客の応対は叔父の役目だ。はっきり言って、叔父は接客業には向かない。ただ、一部の客には受けがいい。一部とは、三、四十代の女性だ。ホストでもやった方が儲かるような気がするが、考えてみればホストも接客業に他ならない。

 店内に踏み入れると、若い男の声がした。最も叔父が不得手とするタイプだ。様子からすると怒らせたらしい。月彦はこれから自分のすることを考え、溜息を吐いた。いつも、叔父の怒らせた客を宥めるのは月彦の役目だった。

「だから、あいつと約束したんだ。これに何の効き目もなかったら金を返すって」
「そうは言っても俺は何も聞いてない」
「じゃああいつを出せよ。月彦って奴を」
「居ないと言っているだろう。出直すんだな」
 月彦が店の奥に進むと、そこには見覚えのある顔があった。一週間程前に、返品を要求しに来た客だ。
「只今帰りました」
 月彦が声を掛けると、こちらに背を向けていた充貴は猛然とした勢いで振り返った。明らかに怒りを溜め込んだ様子に、表面には穏やかな笑みを張り付けたまま、月彦は内心で溜息を吐く。唯でさえ厄介なことであったのに、叔父がおざなりな対応をした所為で余計に怒りを増幅させている。結果、それだけ月彦の手間が増えるのだ。
「やっと帰ってきたか」
 月彦が笑むのに怯んだのか、口を開いて言葉を発するまでに少々間の空いた充貴の隙をついて叔父がうんざりしたという感情を隠そうともしない口調で言った。こういったところを直してくれればいくらかはましになるというのに。そう思ってはいても、どうせ甥の月彦が何を言っても聞く人ではない。それに、敢えてこういった態度を貫いているのではないか、そう考えさせるきらいがあった。自分をそう演出することで、強固な壁を作っている。それは叔父に限らず、月彦だってそうであるし、人ならば皆程度の差こそあれ、そういった傾向は持ち合わせているものだろう。ならば、口を出すことは無意味であって、且つ無粋だ。
「こいつがお前に用があるんだと」
 どうにかしろと、まるで野良猫を追い払うような仕草で手を振る。そうしてもう自分は関係ないとばかりに頬杖を突いてにやと笑う。どうやら傍観者を気取るつもりのようだ。甥が困る様子を酒の肴にでもしようと、もう片方の手で缶ビールを掴む。元々よく酒を嗜む人ではあるけれど、最近は飲んでいない時間の方が短いかもしれない。理由はこの時期だから、ということなのだろうけれど、どうしたって身体に良いわけがない。だからといって、対処法など思いつく筈もなく、月彦は目先の問題に向き合うことにする。
「その様子だと、良い結果は得られなかったようですね」
 お察ししますと、残念そうに月彦は続ける。それは、悪いのはこちらではないと、牽制する為の序言のようで、充貴は更に機嫌を悪くする。
 結局、哀れな自分につけ入って、嘲って騙しただけなのだ。最初からわかっていたことなのに、どこかがっかりした自分がいて、それはそのまま期待していたことを証明し、充貴は自嘲した。哀れで滑稽で、惨めな自分を、わざわざこの年下の少年に晒しに来たのだろうか。そんな自虐的なことさえ厭わないほど、自分の中の何かは蝕んでいるのだろうか。
「そうだな。だから結局、これには何の力もなかったってことだよな」
 放り投げられた朱のお守りは、月彦の元へ辿り着く前に力を失い、床に落ちた。月彦の手によって定期的に掃除されている為、床は古さは感じるものの汚さは感じない。くすんだ褐色に朱がよく映えた。そこに白が現れて、朱を攫っていく。
「そうかもしれません」
 お守りを拾い上げた月彦は、それを一瞥し、充貴に視線を戻してから同意した。
「かも、じゃなくてそうなんだよ」
 そうでないかもしれないと、曖昧に濁す言葉を否定する。事実、これには何の効果もなかったのだから。
「それは、貴方がそう思っているからでは?」
「俺が何の力もないって思ってたから、だから効かなかったとでも?」
 馬鹿なことを、そう言って笑うより先に、遮るように言葉が割り込む。
「貴方が、ツキモノという存在を信じていなかったから、という意味です」

 ツキモノ、とは一体何だ。得体の知れぬもの。目に見えないもの、否、もしかしたら見えるかもしれない。他は何だ。そう、何かに憑く、もの。
 充貴に、憑いているかもしれない、もの。
 果たしてそれを信じていたか、それとも信じていなかったのか、充貴は自身に問い掛ける。そして、自分の身に起こる奇怪な現象が、そのツキモノとかいうものの所為だったなら、安心しただろうか。原因がわかったと、安堵しただろうか。答えは否だ。きっともっと不安になった。ずっと恐怖した。わけのわからぬものに、憑かれていることが事実だと、どうして信じられようか。そんなわけない、そんなものはいない。無意識に、充貴はそう思ったのだ。それは、否定できない。
 しかし、否定してしまえば充貴に起こる奇怪現象の原因は何だというのか。そんな、詮無い問答を繰り返す、不毛な日々続くのだ。そしていつしか神経をすり減らし、本当に狂ってしまう日が来るかもしれない。ただ充貴がおかしかったのだと、判明する日が来るのかもしれない。
「……お前は、信じているのか?」
 諦めにも似た絶望が、心を支配していく。問い掛ける声に力はない。酷く疲れた心地になった。金なんてどうでもいい。全てどうでもいい。こんな風に、怒鳴り込みに来た本当の理由を既に充貴は悟っていた。ただ、自身の不安を誰かにぶつけたかっただけなのだ。
 帰ろう、そう充貴が思ったのを月彦が読み取ったのかどうかはわからない。引き止めるためか否か、口を開いたその時、別の人間の声がした。


「ごめんください」
 それは誰が聞いても女の声だとわかる高い声だった。声だけで判断するならば、比較的若い。少女というには老齢で、熟女というには若年の、あどけなさと落ち着きが混同する。声の主を視界に映せば、二十代後半と思しき女が立っていた。



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