二幕 憑き物筋 3

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 煎茶に干菓子を添えて差し出すと、女は礼を言って湯飲みを手に取った。手に包み込むように握り、立ち上る湯気にふうと息を吹きかける。それを僅かに傾けて一口飲むと、美味しいというように月彦に微笑んで見せた。小さく頷いて返事をしながら、月彦は目の前の女と嘉月との関係を考える。既婚者である女性と独身の叔父の関係が何であるのか。健全な友人関係を出ないものであって欲しいと思うのは、何も叔父に清廉潔白であって欲しいなどと大それた望みを抱いているわけではない。後々面倒事が起これば、甥である自分も否応無しに巻き込まれる可能性がある。それを少しでも回避したいというささやかな願いである。
 しかし、ここへ呼んだということは、もっと違う意味を持ってくる。嘉月に会うのなら、何もここでなくてもいいのだ。態々ここへ呼んだのは、つまり月彦に会わせる為だろう。この憔悴した顔と照らし合わせれば、彼女の訪問理由は一つしかない。


「お待たせしました」
 話は済んだのか、嘉月が充貴を伴ってやって来ると、女の向かいのソファに腰を下ろした。月彦はその左斜め後ろに立ち、充貴はその隣に並んだ。その存在に、瞬間月彦は眉を顰めるが、この状況で何を言うこともできないとわかっている。この場は静観するしかないと、直ぐに元の笑みに戻した。
「こちらが甥の月彦です。助手のようなことをして貰っています」
 嘉月は月彦を手で示して紹介した。
「こちらが春日居充貴君、同じく彼にも手伝いをして貰っています」
 同じように充貴を紹介すると、知っているのか、名を聞いて女は瞠目し、春日居、と小さく反芻した。
「ご存知なんですか?」
 嘉月が聞くのに、女は少々口篭らせて、ええ、まあ、と曖昧な答えで濁した。それを見て、充貴は合点する。どこで春日居の名を知ったのか。恐らくは近所で出回っている自分の噂だろう。苦々しい気分になりながらも、何も言わずに黙っている。それは、嘉月に何の説明もされないまま黙っていろ言われたからでもあるし、口を挟みたくないという自らの意思でもある。
「春日居家はこの辺りでは有名ですからね。実は元々彼はこっちの方面に明るくて、それで手伝って貰うことにしたんですが、旧家というのは色々と……根も葉もない噂を立てられることもありまして、彼には申し訳なく思っているんです」
 心底困ったという顔で、平気で嘘を吐く嘉月に月彦は内心で呆れる。信じてもいない彼が、こっち方面に明るい、なんてことはありえない。そもそも、こっち方面が何を指しているのか、充貴はわかっていないかもしれない。推測は可能だが、そういった能力に長けているかどうか、それこそ推測するしかない。
 聞いた相手は嘉月の説明を鵜呑みにしたらしい。彼女には疑う理由がないのだから当然だ。充貴を見る目が胡乱なものから同情を含むものに変化した。それを充貴自身は複雑なものとして受け取った。事実を語られても困るが、嘘を吐いて騙すのも良心が咎める。大体、この女性に対してどうしてそんなことを言う必要があるのか、充貴には謎だ。加えて、どことなく期待を寄せられているような気さえする。これはどうしたことだろう。何か発言を求められても困る。黙っていろと言われたのだから、黙っていられるようにしてくれよと、内心の焦りを押し隠しながら後ろ姿の嘉月に視線を向けた。


 桐生香澄、女はそう名乗った。
「私の生家は、その、所謂、憑き物筋と呼ばれているものなんですが……」
 酷く言い辛い言葉であるように、躊躇いながら香澄はその言葉、憑き物筋、と口にした。充貴にとっては馴染みのないその言葉も、他の二人にとってはそうではないようで、嘉月は頷き、月彦は黙って先を待っている。
「憑き物筋といえば、家系に起こり、使役したりするという、あの?」
 説明じみたその台詞は、知らない充貴の為だろう。しかし、ほとんど無知に近い者にとって、その説明では言葉不足だ。断片的な知識は、充貴にぼんやりとした輪郭像しか与えない。影も形も無かった場所に、曖昧でも形作られたのだから、それは進歩と言えるかもしれないが、曖昧模糊なその上に立つのは不安この上ない。
「ええ、そうです。それで、あの……」
 何が、香澄の口を封じているのだろう。事情を知らない充貴でも、彼女がここまでやって来たのはこれからする話をする為なのだとわかる。ここに来る決意をし、そして実際にやって来たのだから、覚悟は決まっている筈だ。それでも、この期に及んで躊躇うのは、どうしてだろう。
 言葉が紡がれぬまま、僅かに開かれた口が閉じるという動作を繰り返す。誰も、先を促そうとせず、黙ってじっと待っていた。気詰まりな沈黙は、余計に緊張を強いるようで、充貴には酷く居心地が悪いのに、香澄は自分の葛藤に没頭しているし、嘉月は香澄の目が自分に向いていない隙に投げ遣りな本性を晒している。唯一人月彦は、真っ直ぐ香澄を見据え、真摯にその先を待っている。香澄の話に興味があるのは、嘉月より月彦のようだ。

 沈黙は永遠のようでいて一瞬で、長い話だと前置きし、香澄は自分の境遇を語り始めた。



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