考察 2

NOVEL HOME   INDEX  BACK NEXT



「聞いた? 生徒会長、顔に痣があるんだって」

 少々興奮気味の結菜に対し、莉茉は至って冷静だ。それがどうしたと言わんばかりの冷めた顔をしている。

「聞いてない。でも見た」
「見たの?」

 驚いた結菜に、莉茉は顎で窓を示した。そこから覗いていたということだろう。しかし、結菜はそこで不思議に思う。莉茉は大抵、始業開始から良くて五分前、悪くて丁度の時間に登校している。こんなに早く、結菜より早く来ることは相当珍しい。
 因みに、結菜の登校時間自体は部活の朝練のためにもっと早い。つまり、朝練を終えて教室にやって来る結菜より、いつもの莉茉は遅いのだ。


 朝の教室は、一つの話題に従事している。それは、登校してきた生徒会長、城野総司の顔に見事な痣があったことだ。明らかに殴られて出来たものと思われるそれは、本人によれば転んだ、ということらしい。それを信じるとするならば、拳大の丸い物に、相当の衝撃でもってぶつかったということになる。
 歩道にあるポールだったら、それらしい痣が出来るかもしれないと莉茉は考えた。しかしその場合、殴られるより危険だ。

「駒川は?」

 ふと思いたって、莉茉は結菜に尋ねた。城野の顔に痣、という出来事は、ある可能性を想像させる。それはもう容易に。
 昨日の放課後、最後に城野をを見た時には当然痣など無かった。その後からついさっき窓からその存在を知るまでの間、何かがあったのだ。あの状況の城野には、殴られるかもしれない理由があった。

「駒川? 駒川が何?」
「駒川にも痣があった?」
「知らないよ、そんなの。私より莉茉の方が詳しいんじゃないの?」
「そうでもない」
「そうでもあるでしょ、仮にも付き合ってるんだから」
「別れた」
「そう別れたんだからって……はっ? えっ? 何? いつ!」
「昨日」
「ちょっと何、何でそんな重要なことそんなあっさりと」
「重要? ただの成り行きだと思う」

 成り行きであって、予想された結果だ。始まりがあるから終わりがある。もしくは、終わりがあるから始まりがある。まるで禅問答だ。
 終わりがあるから始められることもあるし、終わらないことを祈って始めることもある。恋愛というのはきっと後者で、終わりを迎えないために、努力するのだ。それが報われないことだって当然ある。努力の結果なら、受け入れるしかない。受け入れて消化する。
 だとしたら、始まらなかったものはどうなるだろう。終わることも出来ず、燻り続けるしかないだろうか。
 その状態は、濃いカルピスを飲んだ後、口の中に残る滓のような残留物、に似ているかもしれない。それを想像して、莉茉は口の中が多少不愉快になった。そして、そんな不愉快さと隼人の顔を重ねてみる。
 吐き出すか、飲み込むか、どちらでもいい。そのままでいたくないのなら、選ばなければならない。それでも、第三の選択肢を選びたいのなら、それでも構わない。それは莉茉が決めることではない。ただ、そうして欲しくはないと、ほんの少し、思う。


 詳しく聞かせろという結菜にとっては非情なチャイムの音が鳴る。昼休みに話すという莉茉に、結菜は渋々引き下がった。




 そして昼休み、別れに至った経緯を聞き終えた結菜は、こういう場合何と言ったらいいのだろうと頭を抱えた。失恋した友人に掛ける言葉として最も一般的なものは慰めだろう。元気出して、とか、もっと良い人がいるって、とか、可愛いんだからあんな奴には勿体ないよ、とか、色々パターンを思い浮かべてみるが、どれも適切とは言えない。そもそも、どれも実際に使ったことがない。下手な慰めはかえって傷つけるだけなのだ。特に、同じ経験をしていない者から掛けられる言葉には実感がない。それは仕方のないことだと、結菜自身は割り切っている。

「えーっと、さあ……それで良かったの?」

 長い付き合いの結菜には、恐らくこの世で二番目に莉茉を知っている。一番は莉茉の兄、櫂利だろう。
 莉茉の行動理由のほとんどを占めるのは好奇心だ。こうしたら面白いんじゃないか、どうしてそうなっているのか。気になるだけで忘れてしまうような多くのことを、莉茉はいちいち行動する。だから、隼人に告白をして、見よう見まねで恋人同士のお付き合いなんてものに興じたのも、そういった理由なのだろう。しかし、肝心の何が莉茉を駆り立てたのか、残念ながらそこまではわからない。

「良し悪しなんてどうでもいいことだよ」

 結果、良かったのか悪かったのか、それを決めてどうなるというのだろう。ただ予想されたことが予想通りに起きただけ。それは少し詰まらないことではあったけれど、塩酸にリトマス試験紙を浸せば赤く反応するように、そうであるようになっただけだ。

 それきり莉茉は口を噤んだ。もっと突っ込んだことを聞きたい気持ちはあったが、それ以上結菜は聞くことをしなかった。莉茉はいつも、必要以上のことを話さない。それ故に、口調はどこかぶっきらぼうな印象だけれども、話すことを厭っているわけではない。相手が望めばちゃんと話してくれるし、実は話好きなのだと結菜は密かに思っている。
 もっと詳しいことが知りたい。結菜がそう思っていることは莉茉も承知しているだろう。でも敢えて何も言わないのだ。そこに、何やら複雑な感情があるのだと、結菜は察する。

 結局、莉茉にとって、駒川隼人はどういう存在だったのだろう。

 ずるずると、莉茉がストローを吸う音が屋上に響く。バナナオレと納豆巻、それが今日の莉茉の昼食だった。その二つが混ざり合った味、それは口内でそれを感じている本人の心の中と同じくらい複雑かもしれない。


NOVEL HOME   INDEX  BACK NEXT

Copyright © 2008- Mikaduki. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system