考察 1

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 繋がれた手に、特別な意味があることは、見て直ぐにわかった。照れたように、はにかんで笑う顔に、急速に凍っていく部分があることを自覚する。開かれる口から紡がれる言葉を聞きたくなくて、踏み出して伸ばした手は、甲斐なく空を掻いた。
 相手の口を塞ぐより、自分の耳を塞げば良かったのに。いつもそうだ。いつも間違える。
 こうすれば良かった。ああすれば良かった。

 あいつみたいに、すれば良かった。

 そうしたら、今空を掴んでいるこの手は、別の何かに繋がれていたかもしれないのに。あいつのいるあの場所に、自分がいたかもしれないのに。
 溢れ出すことも出来ずに、凍り付いてそのままの、心の奥底に閉じ込められたものがある。そのお陰で、無様な姿を晒さずに済んだ。一人になって、そのことだけ、心底良かったと、そう思った。



 遮光カーテンは光を遮断するからこその遮光カーテンであって、それは、寝起きの瞼から眩し過ぎる朝の陽射しを守るためであったり、その陽射しの中で睡眠をとる場合であったり、そういうときに活躍する筈のものだ。しかし、それが窓を覆っていなければ意味がない。
 一応閉まってはいるが、どうやら適当に引いたため、合せ目に十センチ程の間隔が空いている。そこから光が差し込み、丁度良く隼人の顔を照らしている。その事実に、眩しさで目覚めてしまった隼人は、小さく舌打ちするとその体を起こした。

 夢を見ていた気がする。しかし、眩しくて目が覚めて、昨日の夜きちんと閉めておかなかっただろうかと考えたり、時間には早いがどうせだから起きてしまおうと、体をベッドから引き離したり、そういうことをしている内に、夢の内容は記憶から零れ落ちてしまった。努めて考えれば、まだ思い出せるかもしれない。だが、零れ落ちてしまったものを拾い上げることに何の意味があるだろう。既に自身を過ぎ去ってしまったものに、追い縋ってどうするというのだろう。


 ぼんやりした頭でも、起きてしまえば考えてしまう。当然のようにそれは昨日のことで、ちらちらと現れては消える二つの顔。

 ゴツ、と鈍い音がした。壁と拳がぶつかった音。硬い壁は、容赦なく隼人の拳に痛みを与える。殴りつけたのは自分なのに、痛いのも自分。なんて割りに合わないんだろう。

「……くそっ」

 傷ついたのは、自分だ。それなのに、後に残ったのは、苛々と頭を掻き毟りたくなるほどの、罪悪感。

 強く強く、力の限り拳を握る。どこにも発散できない想いをそうすることで消化できないだろうか。きっと、無意識にそんな考えが働いている。
 どのくらいそうしていたのだろうか。開いた瞬間の掌は妙に白く、血流を取り戻したそれは、急速に赤く染まっていく。そこに重なる、気分とはまるでそぐわない流行の音楽。携帯電話のアラームが起きるべき時間を知らせた。
 何が起きたって、日常は当たり前のようにやってくる。学生であれば、朝起きて、学校にいって、授業を受けて、家に帰る。その繰り返し。昨日の自分も今日の自分も、やることはさして変わらない。違うことがあるとすれば、彼女と別れたこと、くらいだろうか。

 そうだ、どうやら自分は彼女と別れたらしい。そう気付いたのは随分後だった。衝撃的なことが他にあり過ぎて、認識するのが遅れたんだろう。別れを切り出したのは自分で、別れを宣言したのは莉茉だった。だからか、何故か振られたような気分になった。そうだったら初めての経験だ、そう考えて無理矢理笑おうと努める。
 別れたのだから、昼を共にすることも、一緒に下校することもない。昼食を自分で用意する必要がある、それ以外は寧ろ面倒事が減ったと言えるだろう。
 その内、別れたことが広まって、耳聡い女子が告白に現れることは、これまでの経験上、容易に想像がついた。そうして自分はまた繰り返すのだ。それも、想像がつく。

 同じところを回り続けてる。なるほど、外側から見れば、留まり続けているように見えるかもしれない。
 だが、だから何だというのだ。そうすることのどこに問題がある。進むことも、進まないことも、それを決めるのは自分だ。他人に意見されることではない。進みたくないと、留まりたいと、それでいいと、そう思っているのなら、構わないじゃないか。


 携帯電話に手を伸ばし、鳴り続けている音楽を止めた。すぐに止めなかった所為か、電池の充電量が一つ減っていた。そういえば、いつもする作業が、今回は無い。莉茉の携帯番号も、アドレスも、隼人は知らなかった。





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 朝の風景は、いつだって変わり映えはしない。衣替えの季節、服装が変わるとか、寒くなって、制服にマフラーやコートといった付属品が付くとか、そういう変化ならあるが、生徒が校門から校舎へ歩いてくる、この基本形は変わらない。
 それを嘆きたいと、誰かは思うだろう。その誰かは、退屈だと不平を言って、そのくせ、本当に何かがあった時、どうしてこんなことが起こるのだと、やっぱり不満を叫ぶんだろう。その気持ちは理解できる。要するに、欲しい変化は極小さなもので良いのだ。そして、降りかかるのは己自身でなくてもいい。
 だから、今日の出来事はそういう誰かにとって、恰好の退屈凌ぎにでもなったかもしれない。


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