一幕 月籠 7

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 始まりはいつだっただろう。
 朝起きると、本棚に納まっていた筈の本という本が全て床に散らばっていた。地震でも起きたのかと、その時はそう思った。随分と激しく揺れたに違いないのに、全く気付かなかった自分の図太さに呆れた。
 しかし、両親に問うても地震などなかったという。テレビのニュースでも地震の報を流す様子もない。
 だったら何故、本棚の本は床に落ちていたのだろうか。そう疑問に思った充貴に母が言った。昨晩は二階の充貴の部屋からドタドタと騒がしい音が聞こえたと。近所迷惑だから静かにしなさいと注意を受けた。
 特に何をしていたという記憶もない。机で大学のレポートをしていただけで、部屋を歩き回るようなこともしていない筈だった。そう反論しても、どうせ小言が倍になって返ってくるだけだろうから、その場は黙っていた。
 正直、気味が悪いと思った。得体の知れない何かがあるようで。
 そもそも本棚の本が落ちるのならば、本棚の上に置いてあった荷物も落ちなければおかしいのだ。他にも、ラックに収納されていたCDも、サイドボードの目覚まし時計も、少しも動いた形跡がなかった。
 まるで、意図的に本だけが床に落ちたようだった。

 それでも、日が経つにつれて気にしなくなっていった。やはり、気付かなかっただけで、地震が起きていたのかもしれないし、両親も気付かなかっただけで、テレビも既に放送された後だったのだろう。
 情報というのは常に溢れかえっている。一度表に出た情報を聞き逃してしまえば、もう二度とお目にかかれないということもあり得る。

 すっかりどうでもよくなっていた頃、それは再び訪れた。
 今度は本だけではなく、本棚ごと倒れていた。CDも時計も、机の上に置いてあった物も、部屋にあるもの全てが部屋中に散乱していた。
 呆然とベッドの上で身じろぐと、羽がふわりと舞う。どうしてこんなところに羽があるのか。そう訝しむ間もなく、羽毛布団の中身がはみ出したのだと知れる。そこまで古かったかと、布団を見れば、大きな裂け目が出来ていて、そこからほとんどの羽毛が飛び出していた。明らかに、力を加えられた結果だ。

 何が起きたか、考えるのは怖かった。一度起きればしばらくの猶予期間があった。その間に、もう起こらないことを祈った。原因が何であれ、もう何も起こらなければそれで良かった。
 そんな願いも虚しく、得体の知れぬ異変は起こり続けた。回数を重ねる毎に、それは約一月間隔で起こり、その日は決まって満月だということが分かった。そして、起こる出来事が酷くなっていった。
 朝起きて、物が壊れていることなど、最早常で、それが、物でないものに向けられて初めて、危機感というものを覚えた。
 母の顔に生々しく残る痣。それをやったのが自分だと、どうして信じられるだろう。自分の周りで異変が起きていることは承知していたが、自分自身が引き起こしていたとは思ってもみなかった。恐らくは、仲の良くない弟が嫌がらせでやっていたのではないかと考えていたのだ。
 家族がいくら充貴がやったのだと言っても、充貴にはその際の記憶がない。故に自覚がない。
 しかし、漠然とした不安だけは持ち続けていた。きっと、弟がやったのだと思い込もうとしたのだろう。自分ではないと、思いたかっただけなのだ。

 皆が自分を奇異なものでも見るような目で見ている。事実そうだったのか、疑心暗鬼になっていただけなのか。どちらにしろ、実感もないままに、不安だけが募った。
 満月の夜に、蔵に籠もろうとしたのは、家族に抑えきれないと言われたこともあるし、自発的な部分もあった。
 春日居家は所謂旧家と呼ばれる家で、一般家庭と比べれば、広大な土地と、それに見合う大きさの家が建っている。そして、庭には蔵があった。古くからの骨董品や家系図等が仕舞われているらしいが、数年前に整理をして、価値のあるものはほとんど売ってしまった。今はただ、物置としての機能しか果たしていない。
 それでも、普通の物置と比べれば断然広い。物も整理されて、住もうと思えば住めなくもなかった。小さな明り取りがあるだけの内部は、昼間でも暗く、住むには些か環境が悪いことを除けば。
 蔵というのは堅強にできている。元々古美術品を保管するために造られたもので、保存状態のためだけでなく、盗難を防止するための策が採られているのだ。侵入も脱出も、容易ではない。
 だから、充貴が蔵の中に入り、唯一つの扉に付けられた錠を外から掛ければ、充貴は出られないのだ。この状態で異変が起これば、もう認めざるを得ない。自分が、記憶のないまま、暴れているのだと。

 結果は散々だった。それでも、長年培ってきた処世術が、表面上は充貴を落ち着いてみせた。しかし、内心では恐怖が渦巻いていた。


 ――貴方には何も起こらない

 信じたわけではない。本当に、こんな物に効果があるなんて、欠片も信じちゃいないのだ。
 だけれど、自分も、本当は自分こそが、何かに縋りたかったのだ。何でもいいから、縋ってしまいたかった。
 ぎゅっと、朱色のお守りを握り込む。あまり力を入れ過ぎれば、壊れてしまいそうな、脆いお守り。
 こんな物に縋るしかない自分は、酷く、惨めだ。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。
 自分は、一体どうしてしまったんだろうか。

 何度問いかけても、答えはでない。


 一つの答えが出るのは、一週間後。



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