一幕 月籠 6

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「さっき、俺の名前を呼んだじゃないか」
 そう、確かに充貴と、そう呼んだのだ。まだ充貴が何も言う前に、お守りを見ただけで名前を呼んだ。それは、このお守りを知っていて、更に母と、そして充貴と結びつけたということだ。母と月彦に接点があったという確かな証拠になる。
「偶々当たったというのは考えられない。そこまで平凡な名前じゃないからな。君が俺の母親と話をし、尚且つ俺のことについて話したってことだ」
「確かに、偶然に頼るには低い確率ですね。でも、貴方のお母様と話をしなくても、僕が貴方のことを知っていてもおかしくないでしょう?」
「何だって?」
「貴方は、自分で思っているより周囲に知られている存在だということですよ」
 人は、自分のことを知っている人間を、全て認識しているわけではない。社会という繋がりの中で生きている以上、不可能なことだ。どんなに平々凡々な人間であると自負していても、知っているという集合は、他人とぴったり同じにはならない。属している、共通している、その程度だ。
 だから、月彦が春日居充貴という人間の存在を知っていても不思議ではない。まして、春日居家は地元では名家として有名で、少し離れたこの辺りでも、名くらいは知っているかもしれない。
 しかし、知れているかもしれないという理由はもう一つある。近所で噂になっているのを充貴は知っていた。噂はこんなところまで流れているというのか。認めたくない事実が充貴の心の中で渦回る。それを肯定するように、或いはそんな充貴を憐れむように、月彦は優艶と嘲笑った。
「だが、君は……そうだ、そのお守りを見て言ったんだ。お守りを見て、そして俺の名を呼んだ。君はそのお守りを知っていて、尚且つ母と、更に俺と関係のある物だと知っていたんじゃないか!」
「……そうですね、あれは失敗でした。つい口に出してしまって」
 少しの間を置いて、月彦は自分の非だと認めてみせる。どこかこの現状を面白がっているような、そんな雰囲気が、充貴を苛立たせた。しかし、それでは相手の思う壷だと、冷静になるように自分に言い聞かせる。きっと、これで終わりではない。
「でもそれだけじゃ売買の証明にはなりませんよね?」
 確かにそうだ。だが、切り崩す切欠にはなった。後はどうやって相手に喋って貰うかだ。
「母がこのお守りを手に入れていたのは昨日だ。そして母と君が接点を持ったのも昨日」
「状況証拠というやつですか?」
「出会った場所は墓地だった。わざわざ彼岸前に墓参りをする人間はあまりいないだろう。君の家と俺の家の墓を調べれば、君と母が墓地に居た証明になる」
「まあ、いまいち弱いですけど……いいでしょう。認めますよ。これを貴方のお母様、美弥子さんに売ったのは僕です」
「やけにあっさり認めたな」
 充貴は少々拍子抜けした感を否めなかった。最初に感じた手応えから、もっと苦戦するだろうと思っていたからだ。例えば、売ったではなく、あげたのだとでも言われたら、もうどうしようもなかった。
「あまりに貴方が懸命だったもので、つい」
「思いっきり同情したと言われてるような」
「同情です」
 随分はっきり言う。
「でもまだ問題が残ってますよね?」
「問題?」
「はい。ここで売買したことを証明できても、幾らで取引されたかを証明したわけではありませんから」
 確かに値段を示すものはない。しかし、ここで引き下がるわけにもいかない。
「ここへきて、まだ知らばっくれる気か?」
「こちらも生活が掛かっているので」
 月彦は悪びれた様子もなく言い切る。そういえば、母もそう言われて、金を支払ったのだった。
「同情を誘ってるのはそっちじゃないか」
 もう、論理的な方法は残っていなかった。向こうが正攻法でないのだから、こちらもどんな手段だっていいだろう。そんな風に充貴は考えたが、自分のしていることが明らかに幼稚であることは認めざるを得なかった。しかし、今は見ないふりをする。
「君みたいな子供が、生活が掛かってるなんて言えば、金を出さないわけにはいかない。その容姿は随分と人を誘うのに使えそうだ」
 容姿のことを口にした途端、月彦の顔が僅かに歪んだのを充貴は見逃さなかった。
「その顔で笑えば、大抵の人間は落ちるだろうな。それでうちの母親のような精神的に弱った人間を食い物にする。最低だな」
 月彦の顔から表情が消えた。
 掛かった、と充貴は思った。人間、挑発に乗ればボロを出し易いものだ。コンプレックスを突くのは最も効果的なやり方とも言える。
 若い内に抱えているものは外見に起因するものが少なくない。他者から見て素晴らしいと思うものが、本人にとっては嫌なものであるということも同様。
 しかし、表情を消していた月彦は元の笑みに戻っていった。
「使えるものは何でも利用しますよ。笑うだけでお金が手に入るなら、易いものです」
 そう言って、月彦は益々笑みを深くした。男の充貴でも、魅せられてしまいそうになる程、綺麗な笑顔がそこにある。
 充貴に返す言葉はない。もうこちらに手札は無いのだ。
ギリと歯噛みをする。
「惜しかったですね」
「巫山戯るな!」
 食って掛かる充貴に、月彦は悠然とクスクス笑う。
「ですから、認めてあげますよ」
「は?」
「随分と頑張ったご褒美、とでも言いましょうか」
「何で……」
「ここで押し問答をしていても仕方ありませんからね。正直、居座られたのでは営業妨害ですし」
「じゃあ、金を返すって言うのか?」
 そんなわけないと、内心では思っているが、聞かないわけにはいかないだろう。最初から、充貴の目的はそれなのだ。
「話をしましょう」
「話?」
「はい」
 やはりすんなり金を返す気はないようだ。しかし、譲歩の機会は与えられた。
「貴方が返金を要求しているのは、それが支払った代金に見合う価値がないと思っているからですよね?」
「見るからにそうだろう。こんなボロボロのお守りのどこに価値があるっていうんだ」
 ボロボロだと充貴が判じるのを、月彦は心外だとでも言うように、大袈裟に肩を竦める。そして、充貴が叩き付けたまま机の上に置かれているお守りを持ち上げて、充貴の目の前に翳してみせた。
「確かに、ボロボロと言われても仕方のない状態ではありますが、うちは骨董商ですから。古い物を商うのが生業です」
「骨董品と言っても、状態が良くなければ価値は下がるだろう?」
 古いからボロボロなのだと言われても、ただ古いというだけで大金を払う気にはならない。そもそも、お守りは骨董品と言えるのだろうか。
「その通りですけど、これの価値は物の状態とは無関係なので」
「どういう意味だ?」
「言葉通りです。貴方のお母様には話したのですが、これは邪気を祓うという謂れのある物。その効力にこそ価値があるというわけです」
「そんなの眉唾じゃないか」
「どうしてそう思うんですか?」
「どうしてって、当たり前だろう? こんな物にそんな効力があるとは思えない」
 言い切る充貴を月彦はじっと見つめる。その瞳は、まるで充貴の心の奥を覗き込んでいるかのようで、酷く居心地が悪い。

「ではこうしましょう。このお守りに本当に何の効力もないのかどうか、試してみては?」
「……試す?」
「このお守りに何らかの力があるのなら、次の満月の夜、貴方には何も起こらない」

 一段低く、諭すような、占うような、そんな声で月彦は言った。



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