一幕 月籠 3

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「充貴さん」
 大学から帰宅した充貴は、帰った早々に母親に呼び止められた。妙に上機嫌なその様子に、内心で首を傾げる。充貴のあることが原因で、このところの母はずっと塞ぎ込んでいたのだから。
「何か?」
「ええ、だからこちらに来て頂戴」
 微笑んで手招きする母に、いぶかしみながらも承諾する。
「部屋に荷物を置いたら、行きます」
「早くしてね」
「わかりました」
 急かされて二階に上がり、自室に荷物を置いて踵を返した。


「これは、何ですか?」
「お守りです」
「はあ」
 母に呼ばれて来てみると、徐にどこから見てもお守りのような物を渡された。
「これでもう、何も心配することはありません」
「……どういう意味ですか?」
「言った通りです。満月の夜も安眠できるようになったのですよ」
 にこにこと、すっきりとした顔で笑う母に、どうしてそんなことが言えるのだと、問いたいのを戸惑う。
「嬉しくないのですか?」
「それは……それが本当なら、嬉しいですが」
「本当ですよ。そのお守りがあればもう何の心配もないのです」
「どうしてそんなことが言えるのですか?」
「月彦さんがそう仰ったからですよ」
「月彦さん? 誰ですか?」
「そのお守りを下さった方です」
「くれた? それは、無料でということですか?」
 充貴の胸に嫌な予感が過ぎる。不安定な状態の母は、こういったことに陥りやすいのだ。よく注意しておかなければならなかった。
「そんないいものをただで頂くわけにはいかないでしょう。勿論お金をお支払いしましたよ」
「いくらですか?」
「充貴さん、金額は問題ではありません」
「お母さん」
「それで全てが解決するんです。いくらだって安いものでしょう」
「解決するって、そんな保証どこにもないじゃないですか」
「ありますよ。月彦さんが仰ったんですから」
「その月彦という男がどうして信用できるんですか」
「できますよ。ちゃんとお話したんですから」
「少し話したくらいで信用に足る人物かどうか判断できるわけないでしょう」
「あなたは月彦さんを知らないからそんなことが言えるんです。大体、充貴さん、あなたの問題でしょう?」
「わかってますよ、だから俺は」
「わかってません! あなたはずっと認めようとさえしなかったじゃないの。自分のことだというのに、知らないの一点張りで……私たちがどんな思いで過ごしていたと思っているの。私が、どんなに……」
 さめざめと泣き出した母に、充貴は返す言葉がなかった。確かに自分の身に起こっていることとはいえ、身に覚えがないのだからどうしようもない。記憶がないのだ。一切の記憶が。
 満月の夜、蔵に閉じ篭り、気付いた時には目の前には惨状が広がっていた。記憶のないまま、自分はここで暴れたのだと、遂には認めざるを得なかった。それがつい先日のことだ。
 充貴には未だ実感がない。それでも共に暮らしている母親にとっては、既に何度も経験していることであり、それが突然に息子が手を付けられないほどに暴れ狂い、正気に戻った時には何も覚えていないときている。原因もわからず、改善される様子もない。加えて、誰に相談できるものでもなかった。
 精神的に追い詰められていた母が、誰かに、何かに縋りつきたいと考えても、それは詮無いことだった。
 だが、そんな精神状態の母につけ込み、あまつさえ騙すようなやり方に、充貴は怒りを覚えた。必ず、月彦とかいう男を見つけ出し、けじめをつけさせてやる。充貴はそう決心した。



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