一幕 月籠 2

NOVEL HOME      INDEX   BACK NEXT



 彼岸にはまだ少し早い日、月彦は花を持って墓地に来ていた。
 祖母の命日には決まってお墓を訪れる。息子である叔父も、娘である母も、一度も参ったことのない祖母の墓。せめて孫の自分だけでもと、命日の参拝は月彦にとって義務のようなものだった。
 手に持つ花は曼珠沙華。祖母が一番好きだった花だ。別名を彼岸花とも、死人花とも言う赤い花。祖母が眠る墓地には、この花が通路のあちこちを埋めている。遠くから見ればまるで燃えているようだ。荘厳な炎のような美しい花。
 祖母の棺にも入れた。曼珠沙華を入れたいと言った時には、あまりいい顔はされなかったけれど、天上花とも言うこの花は、その名の通り祖母を天上へ召し上げてくれるのではないかと思えた。
 それに、燃えているようなこの花は、自分の身体が焼かれる恐怖を、和らげてくれるかもしれない。今より少し幼い自分は、そんなことを思った。

 祖母の葬儀で喪主を務めたのは叔父だった。長男であったのだから、それは仕方のないことだったが、叔父は、どんな思いだったのだろうか。祖母の墓に参ることを頑なに拒否する叔父は、どんな思いで喪主という役目を務めあげたのだろうか。

 火葬から戻った祖母は、まるで骨格標本のようにしっかりと骨を残していた。ここまで残るのは珍しいと、余程健康な人だったのだろうと火葬場の人に褒められたが、小さな骨壷に全てが納まる筈もなく、限界まで押し込められ、それでも入らなかった骨は処分された。健康のまま死ぬのも少し考えものだと、叔父が笑っていたことを思い出す。それは、嘲笑うようではなく、何処となく哀しそうだった。叔父の心の内は、きっと随分と複雑だったのだろう。未だに、それはわからない。
 
 火葬場から葬儀場への移動中、祖母を抱えていたのは月彦だった。あれだけいっぱいに詰めても、やはり腕に感じる重みは人のそれとは比べ物にならないくらいに軽かった。人は死ぬと、こんなにも小さくなってしまうものなのだ。こんなにも軽くなってしまうものなのだ。
 火葬前、棺に納まった祖母を見たときも、小さいと思った。でも、それよりも遥かに小さく軽くなった。


 生まれたとき、人は小さく、時間を掛けて大きく成長していく。そして、死んでまた小さくなるのだ。抱える骨壷の大きさは、丁度孕む女の腹のそれと同じくらいだ。
 小さくなって、また生まれてくる。そう考えると、祖母を失った喪失感が和らぐ気がした。



 一年ぶりに来る祖母の墓は、他の誰かが参った形跡はない。すぐ後に彼岸が控えているのだから、わざわざ命日に訪れる人はいないのだろう。
 墓地に設置してある水道で水を汲み、墓石に掛ける。花瓶に水を入れ、花を活けた。黒い墓石に、赤がよく映える。
 目を瞑り、手を合わせる月彦の脳裏に祖母の顔が浮かぶ。しかしそれは、霧がかったような、ぼやけたものだった。祖母が死に、月日が経つにつれ、記憶は徐々に曖昧になっていく。
 それはとても、生きている感覚だった。




 月彦が水場に手桶を返しに行くと、着物の着た女性が目についた。彼岸前の墓地には人影がほとんどない。自然とその女性に注目してしまう。遠目から見ても、女性は随分と熱心に祈っているようだった。
 興味を引かれて近付くと、月彦の家のと比べ、広い区画に大きな墓石が鎮座していた。墓石には春日居家之墓と彫ってある。この近くでは有名な家だった。名家であることと、そしてある噂によって。

 月彦は身体を丸めて熱心に祈る女性の後ろに立った。小さな声で、ぶつぶつと呟く声が聞こえるほど近くに。








*********************************************









「ツキモノってご存知ですか?」
 そう言って微笑む少年は、驚くほど美麗な顔をしていた。春日居美弥子は惚けたように、その少年を見詰めた。その為、掛けられた言葉の意味を理解するのに、少しばかりの時間を要した。
「憑き物、ですか?」
 いきなりこのような言葉を投げてくる少年に、常の美弥子ならまともに相手をするようなことはなかっただろう。しかし、少年の上品な雰囲気と、身に纏う有名な進学校の制服、そして、自分の身の周りで起こっているある出来事が、この少年に話をさせる機会を与えてしまった。



「ええ、そうです。何でも憑き物に憑かれると、人が変わったようになるそうです。例えば、暴れ狂ったり、だとか。そして、その間のことは一切覚えていない。憑依されていたのですから、当然と言えば当然ですが」
 少年はそこで言葉を区切り、美弥子の様子を窺う。美弥子はその顔を真っ青にさせていた。少年の言った言葉は、どれも覚えのあるものだったのだ。
「それで、その、憑かれた人はどうなるのですか? 治るのですか?」
 縋るように、半ば叫ぶように言う美弥子に、少年は安心させるように微笑んだ。
「落ち着いてください。良ければ詳しく話を聞かせて貰えませんか?」
「話って、私はそんな……」
「ミツタカさんと言いましたか? 息子さん、ですか?」
「知って……いるのですか?」
「大丈夫ですよ」
 少年の言葉に、必死に張っていた糸がふつりと切れたように、美弥子は泣き出していた。自分の息子よりも若い少年に縋りつきながら、みっともないと知りつつも、涙が止まらなかった。
 ずっとずっと、誰かにそう言って貰いたかった。



NOVEL HOME      INDEX   BACK NEXT

Copyright © 2008- Mikaduki. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system