用法・用量  【後編】

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「ひっ」

 息を呑む新海に、突きつけるように差し出せれたウシガエルは目を瞑り、くたりと四肢を投げ出している。
 
「眠ってる」

 それがどうしたと、言いたくても言葉が出せない。
 口を塞がれたから。
 目の前のウシガエルによって。
 
「内池先生が、一匹余ったというから貰い受けた。どうしても触れないと言う生徒がいたらしくてね」

 湿った、粘着質の皮膚が口に張り付く感触。
 逃れる為に、硬直した身体を後ろへ動かそうとしても、それをさせまいとするように、押し付ける力が強まる。
 
「さっき、眠らせた。クロロホルムで。本当は昼休みに始めようと思ってたんだが、用事を頼まれてね」

 ウシガエルを持っていない方の手が伸び、新海の顎を掴む。白いゴム手袋の冷やりとした感触が、顎を付け根を探り、口を開かせる。開いた口に、ウシガエルが侵入する。
 
「これから解剖しようと思っている」

 ウシガエルの眠りは深い。己の顔が例えとうなっていようとも、ピクリとも動かない。
 
「噛むなよ」

 
 不意に新海の口に突っ込んでいたウシガエルを萩野は手元に引き寄せた。
 そして、どさりと大きな身体が床に倒れるのを避ける。
 
「さて」

 倒れた新海を一瞥して、萩野は生徒二人に目を向けた。
 
「坂上に松下、だったか?」

 呼ばれた二人は酷く混乱していた。
 二人がかりでかかれば、萩野一人どうとでもなる。しかし、目の前の萩野は不気味過ぎた。普段から気味が悪いのに、巨大なウシガエルというオプションがついている。近寄りたくない、と一言だ。
 
「処分はどうなるかわからないが、とりあえず卒業まで私の助手」
「助手って……」
「雑事をすればいいだけ。言っておくけど拒否権は無い」

 教室の奥、愛美の前にやってきた萩野は、やはりほとんど足音を立てずに移動する。やや困ったように、手にしたウシガエルを見やると、近くにいる坂上に持っているように言った。
 
「ええっ、ヤダよ。気持ちわりぃ」
「……口に入れてやろうか?」
「持ちます持ちます」

 ウシガエルをそっと、坂上の手の上に置くと、していた手袋を脱ぐ。
 そして、愛美の拘束を解いた。
 
「あ……ありがとう、ございます」

 強張った身体を摩りながら、何とか声を出す。
 幸いなことに、一見して何かをされたようには見えない。
 着衣の乱れも無く、傷もない。
 
 身体を起こすと、ずきっと頭に痛みが走った。
 
「頭痛がする?」
「はい、多分薬品の所為かと」
「それもあるだろうけど、殴られてる気がするから、頭確認して」

 殴られたりはしなかった筈だが、言われたとおりに後頭部を摩ってみる。
 
「痛っ」

 右側の方に、押すと痛みを感じる箇所がある。
 
「冷やした方がいい。保健室に行こう」
「あ、はい。……あの、どうして殴られてるって思ったんですか?」
 
 萩野の言い方は、殴られていると半ば確信した風だった。

「クロロホルムって、どういう物か知ってる?」
「えっと、よくドラマなんかで出てきて、嗅ぐと意識を失うやつですよね?」
「あれね、実際にやっても意識を失ったりしないんだ。精々吐き気や頭痛がする程度」
「えっ? じゃあ、どうして私は」
「だから、殴られたんだろう」
「だからって……?」
「クロロホルムは麻酔として人を眠らせることは出来るけど、布に染み込ませた程度の量ではそこまでの効果はない。でも、軽い眩暈程度の効果はある。その状態で頭部に衝撃を受ければ高い確率で意識を失う」
「そうなんですか」
「新海先生は化学教諭だし、当然知っていただろうね」

 床に転がったままの新海に視線を向ける。
 教師としての知識をそんなことに使うなんて。

「あの、新海先生は……どうして倒れたんですか?」

 カエルに付着していたクロロホルムに反応して倒れたのかと思ったが、話によるとそれはありえない。

「新海先生はね、カエル駄目なんだ。ウシガエルに残ってたクロロホルムの効果が少しはあったかもしれないけど、ほどんどないと言っていい。カエル嫌いの人がカエルの中では大きいウシガエルを口に突っ込まれて正気でいられるかどうか。新海先生の場合はいいえ、だったわけだ」 

 もう説明することはないと、愛美を促して出て行こうとする萩野を坂上が慌てて止め、渡されていたウシガエルを示す。

「ちょ、コレどうすんの!?」
「ああ。科学準備室に水槽があるから、そこに入れておいて。余計な物には触らないように。安全の保障はしないよ」

 出て行く前に、倒れた新海の様子を見、教室に残された坂上と松下を振り返る。

「これ、どうにかしといて。あと明日の放課後化学準備室に来るように。来なかったら、今日のこと、涼原先生を私に換えて流すから」

 二人にとって、ある意味最も恐ろしい脅迫だった。

「私も一応女だからな。話としては成立する。……まあ、新海先生にした方が面白味はあるが」

 普段滅多に使われることの無い地学準備室には、一人は手にウシガエルを持った二人の生徒と、床に失神している教師が一人。
 二人はまだ気づいていないが、助手とはつまり、萩のにとって体のいい小間使い、悪く言えば下僕のようなものである。愛美を気遣って、学校側に報告するかどうか悩んでいたために言ったことだったが、彼らにすれば、短期間の謹慎処分で済むのだったら、余程マシだったろう。

「あの、どうしてもわからないことがあるんですけど」

 廊下を歩きながら、愛美は疑問に思っていたことを口にした。
 どうして新海は自分にこんなことをしたんだろう。それに、愛美が悪いと言ったのだ。特別何をしたという記憶もないのに。
 
「君、最近よく私に話しかけてきてただろう」
「はぁ……確かにそうですけど」
「それが気に入らなかったんだろうな」
「どうしてそれが理由になるんです?」
「彼は私が嫌いなんだ。コンプレックスというやつかな」
「コンプレックス……ですか?」

 助けてもらって失礼だが、萩野に対してコンプレックスを感じていたとはどうしても思えない。
 
「彼は大学に残って研究を続けたかったらしい。だが、それは叶わなかった。一方で私は大学に残ってくれと教授に頼まれたが、それを蹴ってここにいる。自分が欲しくて堪らなかったものを意図も簡単に捨てたことが気に食わなかったんだろう。それに、大学に残ることは断ったが、それでもと、未だに関わっているし」
「え? それじゃあ、いつも何か実験しているっていうのは」
「別に怪しい実験をしているわけじゃない。大学に通うことも出来ないから、ここでやっているだけだ」
「そうだったんですか」





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 後日、新海は学校を辞めた。元々家庭が上手くいっていなかったこともあり、離婚を機に故郷に帰ることにしたそうだ。地元の高校に就職が決まっている。

「おはようございます」
 挨拶とともに開かれた職員室のドアから愛美が入ってくる。
 それに、萩野は人知れず溜息を吐いた。あれ以来、妙に愛美懐かれてしまった。助けなければ良かったとは流石に思わないが、この状況には少々不満だ。萩野が望むのは何より静かな環境だ。それを愛美が邪魔しに来る。
 
 まあ、便利な雑用係が手に入ったし、良しとするか。
 今日は何の実験をするかと考えながら、無意識に口角を僅かに引き上げた。



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