用法・用量  【中編】

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 ガラッ


 唐突にドアが開く音がする。続いて響く足音が、その主が一人でないことを教える。その通り、愛美の前に現れたのは二人の男だった。

 制服を身に纏う男子生徒。顔に見覚えがあるように思うが、名前を思い出すところまではいかない。

「目、覚めた?」
 にやにやと二人はいやらしく笑う。
 
 つ、と背中を冷汗が伝う。最悪の状況が頭を擡げる。
 
「あれー? どうしたの、先生。ビビッて声も出ない?」

 一人が傍らにしゃがみ、乱暴に愛美の顎を掴む。抗議の声は口に食い込む布に吸収され、くぐもった呻きにしかならない。
 
「っ!」

 いつの間にかもう一人の手が胸元に伸びていた。そして、強い力でぎゅうと掴まれる。
 
「うわっ、やわらけ」
「おい、ずりいぞ」

 無遠慮に身体に伸ばされる感触に、愛美はぐっと奥歯を噛み締めて耐える。
 時折、相手に文句を言う声が、段々と弾んだものになっていくのを聞きながら、意識を閉ざそうとする。
 
 どうしてこんなことに
 


 
「お前達、何やってる!」

 急に割り入れられた声に、三人が一斉に声の主を見た。
 
「新海……」

 助かった!
 新海が助けに来てくれたのだ。安堵のあまり、愛美の瞼に涙が溜まった。
 
 
「待ってろって言っただろう」
「だって、新海おせーんだもん」
「もっと遅かったら先に頂いちゃったのに」


 咄嗟に理解出来なかった。
 新海の言葉は何を意味している?
 何故、二人を止めない。
 これではまるで、新海も二人に加担しているみたいじゃないか。
 
 
「驚いてるね、涼原先生」

 新海は愛美に笑いかける。それはいつもの笑みと同じで、でもどこか違う。
 
「どうしてと、言いたいんだろうね」

 どうして?
 そう、どうしてと問いたい。
 けれど、拘束されている状態で、問いは声にならない。
 
「ああ、そうか。それでは話せないか」

 唸る愛美に、今気付いたとでも言うように、二人に命じて口の戒めを解く。
 
「っ、ど、どうして……」

 声にした途端、溜まっていた涙が溢れた。
 
「あなたがいけないんだ、折角気にかけてあげたのに」

 愛美を詰る新海の声には抑揚がない。そしてその表情からは先程の笑みが消えている。

 愛美が何をしたというのか。その心当たりはまるでない。
 
「わ、私が……何をしたって言うんですか! ……こんな、こんなこと……」

 新海は不快に顔を歪めた。わからないと、この女は言う。
 この、女は――
 
 
 
 愛美の叫んだ後の少しの静寂に、スーという小さな摩擦音が邪魔をする。
 その音に驚き、見た先に、陰気な影があった。
 
 
「萩野……先生……」


 萩野の登場に、一瞬愛美は喜んでいいのか判断が付かなかった。果たして、萩野は誰の味方なのだろうか。
 
 
 新海の目には、萩野の存在はとても恐ろしいものとして映っていた。呆然と見ている間に、萩野はほとんど音を立てずに直ぐ目の前に移動していた。
 
「あまり、感心しないな、こういうことは」

 背の高い新海を見上げるように、萩野は言う。長い前髪と、分厚いレンズが、その先にある筈の瞳を隠してしまっている筈なのに、奥から発せられる鋭い眼光に、射抜かれているようだった。
 
「何を言ってるんですか? 僕は、今見つけたところで」
「薬品棚」
「……は?」
「薬品棚の薬品が減っていた」
「それは、当たり前でしょう? 実験で使ったんだろうから」
「減っていたのはクロロホルム。今日の全ての授業でクロロホルムを使った実験は無い」

 クロロホルムと言えば麻酔の一種だ。よくドラマなんかで登場する。人を誘拐する際に使われることが多い。
 そういえばと、愛美は記憶を辿る。意識を失う直前、アルコールのような刺激臭を嗅いだ気がする。
 
「薬品棚の鍵は一つ。扱えるのは教師のみ。昼休み、確認した時にはクロロホルムに変化は無かった。それ以降、薬品棚の鍵を使ったのはただ一人」

 淡々と紡がれる言葉は、しかし、新海を追い詰める。
 
「そっ、それなら、お前だって怪しい!」
「まあ、確かに。だが、こんなことをする理由が無い」
「気に入らなかったんじゃないのか? 涼原先生が」
「気に入る気に入らないを判断出来るほど、交流が無い」

 寧ろそっちにこそ何かあるんじゃないのか? 気に入らない理由が。
 暗にそう言われているような気がした。
 
「俺にだって理由が無い!」
「気に入らなかったんだろう、態度が。加えて君は情緒不安定だったからな。何か仕出かすのではないかと危惧していた」
「はっ? 情緒……不安定って……何で」
「プライベートなことに口を挟む気はない」
「っ!」

 新海にとって、この状況を打破するためにはどうしたらいいのか。思いついた方法は酷くシンプルなものだ。
 そう、萩野の口を封じればいい。体格からして、それは容易だ。しかもこちらは三人いる。
 
 そんな、新海の考えを読んだかのように、萩野はずいと一歩歩を進める。あと一歩踏み出せば、互いが触れ合う距離。
 次の瞬間、目の前に手を差し出した。
 
 正確には手に持ったウシガエルを。



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