責任の取り方

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「妊娠したみたいなんだよね……」

唐突に、酷く聞き取りにくい声で男は言った。
思わず、その腹をじっと注視してしまった。
本当にそうだとしたらまるであれだ。
今では某州知事に納まっている俳優が出ていた映画みたいだ。

男はバツが悪そうに目線を他所に向けていたが、反応の無いことにいぶかしんでちらと様子を窺った。
その視線が自分の腹に注がれていることに不思議に思ったが、直ぐにその理由に思い当たる。

「いや、違うだろ」

その声にゆっくりと目線を上げて視線を合わせる。
「主語が抜けているんだよ、君は」

常識で考えれば男が妊娠することなんて有りえないというのに。
だが、威勢よく言い返せない理由が男にはあった。

「それにしたってさ、俺はないだろ。有りえないっつか」
「じゃあ誰が妊娠したっていうんだい? 彼女?」
「彼女じゃ……なくてさ……」

歯切れ悪くそう返す。
視線はもう、とうに逸らされ、在らぬ方向を彷徨っている。

「彼女じゃなければ、誰だって言うんだい? ああ、あれか、そういう行為だけをすることを目的とした友人とやらか? しかし、そういう存在を果たして友人と呼べるのかね」
「いやっ、違うって、セフレなんていないし」
「それでは残る可能性は行きずりの女とでも? しかし、行きずりでは再び合間見えるということは考えにくいけれどな。って、ああ、すまない。何も君が父親だなんて一言も言っていなかったな。そんなこの世の終わりのような顔をしているからてっきりそう思い込んでしまったが」
「あー、いや、父親は、俺……かもしれない……というか」
「何なんだ、そのかも、というのは。でもって結局妊娠したのはどこの誰だっていうんだ」
「えーとー、まあ、友達……」
「友達……ねぇ」
「の、彼女」

相手に相槌を打たせるほど間を空けていった台詞に、相手は大いに顔を歪めた。

「…………君、そういうの何て言うか知ってる? 最低だよ、最低。友達の彼女に手を出すなんてさ、あまつさえ孕ませるなんて。そもそもさ、どうしてそういうことを私に言うのかな、全く以って適任とは程遠いよ」
「わかってるって、でもさ、あん時は……その……結構飲んじゃってさ。酔ってたっていうか……」
「酒を飲んで酔っ払っていたからって、責任がないなんて言う気じゃないだろうね」
「思ってないって、だからこうして悩んでるんじゃないか」
「悩むことが責任を取るということではないと思うけれどね。だが酔っていたからってそのまま性交渉に及ぶというのは納得しかねるな。そういう状況に陥ったということは二人っきりだったということだろう?友人の彼女と、二人っきりで飲んでいたと」
「そ、それはさあ、何か、相談したいって言うから、そんで、素面じゃ話し難いって、じゃあ飲み行くかってなって」
「それで?」
「それで、その、別れようかと思ってるって言われて、でも、相手友達だし、つか、すげえ惚れてるの知ってたし、考え直させようと思って、そしたら、本当に好きなのは俺だとか言われちゃって……」

しどろもどろとは正にこういう状態だというお手本のように、つっかえつっかえ、どもりながら話す。
その様子を、冷ややかに冷ややかに見つめた。

「愚かしいな」
「うっ……」

辛辣な一言に、言葉も無く項垂れる。

「据え膳食わぬは男の恥とは言うけれどね。自分に好意を寄せているからといって片っ端から平らげていくなんて動物的感性で生きているんじゃないだろうね。最低を通り越して最悪だよ」
「そっそんなこと思ってないって! あん時は、その、酔ってたからさ」
「確かにアルコールは理性を失わせる作用があるからね。当然の結果と言えなくもない」
「いや、当然ってことじゃないけど……」
「ふむ。そこで肯いていたら本格的に見捨てるところだったよ」

何故か唐突に試されて、どうにか切り抜けたらしい。男は更にビクリと身体を縮ませた。

「まあともかく、そうか、だから、かも、なんだな。その彼氏である友達の子である可能性もあると」
「そう」
「しかし、なんだ。時期で絞り込めたりはしないのか?」
「駄目、俺とやった次の日にしたって言ってたし」
「その感性に一言言いたいところだが……一つ聞かせて欲しいのだが、君がその友達の彼女と関係をもったのは回数にしてどれくらいなんだい?」
「どれくらいって、一回だけだよ。決まってんじゃん!」
「決まりごとかどうかなんて私には判断できないさ。で、一回だけの性交渉の末、自分も父親である可能性が大いにあると思っているのはつまり、避妊をしなかったということか?」
「うっ……はい」
「ああ、やだね。やだやだ。子供を望んでいる夫婦でもない限り、避妊をするかどうかなんてものは、義務だよ、義務。モラルを疑うね」
「っ、だって……安全日だっていうから」
「安全日? あのね、絶対に妊娠する日なんてないように、絶対に妊娠しなくて安心な日なんてもの存在しないんだよ。ただしやすい、しにくいという可能性、曖昧な定義だ。そもそも安全日っていう名前が間違っていると思うけどね。生殖行為ってのは子供を作ろうとすることなんだよ。だから寧ろ妊娠しにくい日は安全どころか危険日じゃないか。それが妊娠しやすい日こそ危険日と呼ぶのは如何なものだろうね」
「つか、話逸れてるし」
「まあ、聞きなよ。今はね、10組に1組の夫婦が不妊に悩んでいる時代と言われている。不妊というと、原因は女の側にあると思われがちだけれどね、そんなのは前時代的な考え方に過ぎないんだ。実際のところ原因は男女のどちらにもある。半々なんだよ。だけれどね、どちらにしても治療の際にかかる負担は女の方が圧倒的に大きいんだ。子供を宿すのはどうしたって女なんだから仕方が無いと言えばそれまでなんだけれど、嘆かわしいことだね」
「はあ」
「ともかく、不妊の原因は男にだって十分有りえることだ。ところで三毛猫のオスがどうやって生まれるか知っているかい?」
「はあ……えっ? ……三毛猫のオスって、普通に生まれるんじゃないの?」
「ああ、全く。そこからなのかい。君は三毛猫のオスがそこらの野良猫と同じように、其処彼処に存在していると思っているのかい?」
「違うの?」
「君が目にする三毛猫は全てメスだといっても過言ではないよ。三毛猫のオスが生まれる確率は三万匹に一匹。そもそも三毛猫のオスというのは通常では生まれない筈なんだ。その存在はイレギュラーなんだよ。原因の多くはクラインフェルター症候群という染色体異常に因るのだけれど、そのクラインフェルター症候群の猫には生殖能力が無いんだ」
「へぇ、何かよくわかんないけど。やっぱり話逸れてない?」
「そのクラインフェルター症候群というのは何も猫だけの問題じゃないんだよ。人間にも起こる。そしてその確率は500人に1人だ。三毛猫のオスなんかよりもよっぽど高確率というわけだ。まあ、人間の場合は生殖能力が無いということではなく不妊ということだけどね」
「ふうん」
「結局何が言いたいかというとだね。君は自分の子供でも有りえると危惧しているわけだが、果たしてその可能性はどれ程のものかと、思うわけだ。その彼女に受精したかもしれない精子の持ち主が君では有りえないということも考えられるじゃないか。どうだい、一度顕微鏡で自分の精子を見てみたら。案外と無精子かもしれないよ。そうしたら君は今の悩みから解放される。まあ、また新たな悩みに悩まされることになるだろうけれど」
「何つーか、嫌な気分だな」
「君がどんな気分になろうが構わないけれど、決断は早い方がいい。一応22週目まで中絶手術は可能だけれど、安全面で考えれば8週目辺りまでには処置をすべきだからね」
「よく知ってんな、そんなこと。でも、そうだよな、早い方がいいってのは聞くし」

よくわからない回り道の末、結局は現実を突き付ける。投げかける言葉は一々辛辣で容赦が無い。

「そもそも気になっていたんだけれど、妊娠したみたい、と言ったよね」
「ああ」
「ということは病院で検査をしたわけではないんだね。検査薬では調べたのかな?」
「いや、それも怖くてできないって」
「もたもたしている方がよっぽど後が恐ろしいと思うけれどね。つまりはそんな不確定な情報で悩んでいるわけか」
「まあ、そうだけどさ。生理来ないって言ってたし」
「生理不順なんてね、若い子は特にだけれど、よくあることなんだよ。それを妊娠に結びつけるなんて早計だと思うけれどね」
「そう、だよな」
「まあ、この際どうでもいいな。妊娠しているかどうかも、誰が父親かどうかも。論点はそこじゃない」

全くどうでも良くなんかないと、男は思う。
正に最も重要なことだ。

「結局、君はどうしたいんだい?」
「え? どうしたいって」

唐突な問いに男は瞠目する。

「確かに原因の一端は君にある。だが友人の彼女にも同じだけ責任があるだろうな。酔っていたとはいえ、避妊することを自ら拒んだのだし、父親が明確にならないような生活をしていたのだから」

確かにそれは間違っていない。だがだからといって相手に押し付けて逃げてしまえば、楽は楽だが、きっと目の前の相手に最低最悪と罵られて、本当に見捨てられるんだろうと、容易に想像できる。

「だから、君がどうしたいのか、素直に言えばいいさ。自分の子供である可能性が少しでもあるのなら、生んで欲しくはないとでも」
「そんな……」

身勝手かもしれない、けれど、もし自分の子供だったら、生んで欲しくないというのは本心だった。過ち、男にとって酒の過ちでしかない行為の末の代償がこれでは余りにも重過ぎる。
しかし、それを口に出せるほど、酷い人間にはなりきれない。

「まあ、随分と無責任な発言に聞こえるだろうね。だけれどね、とにかく君の意見を伝えるってことには意味がある。君がどうしたって、最終決断を下すのは君じゃあないのだからね」

決定権は友人の彼女、妊娠しているかもしれない当人にある。

「わかっていると思うけれど、言うだけ言って終わりなわけじゃあないよ。君の意見を聞いて、友達の彼女がどういう決断を下すのか。それに対して君の出来得るサポートをする。それが責任ということだよ」

いくら容赦なくても、結果的に自分を導いてくれる。優しく手を貸すでもなく、突き放すでもなく。
それが堪らなく心地いい。
だから、この話をするのに最も適してない相手だとわかっていても、甘えてしまうのだ。






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「妊娠してなかった」
「あ、そう」

後日、男は心底安堵したというように笑顔でそう言った。

「で、君は責任をどう取るつもりなのかな?」
「いや、だから妊娠してなかったんだって」
「そのことじゃないよ。浮気したことの、そうだね、責任でなく代償か」
「あっ……怒ってる?」
「怒ってはいない」
「なんだ、じゃあ、」
「が、呆れ果ててはいる」
「呆れ、ですか……」
「呆れて、もう二度と顔を見たくない、くらいには思っている」
「ちょっ、待ってって、マジで、そっちいっちゃう?」
「キリスト教の教えでは、愛とはつまり、許すことだ、という」
「あ、許してくれる?」
「だが、私はキリスト教徒ではない」
「駄目、ってこと?」
「仏教では因果応報というね。善い事も悪い事も、全ては己の身に返ってくる」
「やっぱり……駄目?」
「だが、私は仏教徒でもない」
「あ! じゃあ」
「まあ、宗教観なんてものはどうでもいいことだけれどね、この場合」

何かそこはかとない負のオーラが滲み出している。
とでも男が感じてくれればいいと思う。実際そうなのだし。

「で、君はどうしたい?」
「え?」
「どうしたいのかと聞いているんだ」
「えっと……その……別れたく、ない。悪かったって思ってる。酔ってったって……言い訳になんないけど。もう二度とこんなことしないし。本当に、別れたくないんだ。だから、その……ごめんなさいっ!」
勢いよく言って、深く頭を垂れた。

「一度した人間の二度としないという発言に果たしてどれ程の信憑性があるものなのかという疑問は過分にあるのだけれど、しかしまあ、そこを追求していても詮無いことだし、話が進まない。だから、そこは流すとして、君が別れたくないと、そう思う理由は一体何?そこをはっきりさせてくれないかな」
「そ、それは勿論……」

男は垂れていた頭を上げ、言い難そうに言葉を濁す。
だが何の相槌もなしに、言葉を促すようなこともなく、無言で待っている。それに対し、覚悟を決めたように口を開いた。

「好きだから」

真っ直ぐにこちらを見つめ、真っ直ぐに告白する。
しばらくその様をじっと見て、溜息を吐く。
嬉しいと思ってしまうことを止められない。
「……さて、どうするかな……」
少々自分に分が悪いと思いながら、そう嘯く。

で、私はどうしたい?

問いかけの答えは、不愉快なことに男にとって都合のいいものだった。
ああ、つくづく甘いな、と思いながら、甘んじてしまうのだ。

「まあ、二度と顔を見たくないというのは訂正してもいいかな」
ぱあっと、男の顔に光が射した。

「勘違いしてもらっては困るから言うけれど、許すなんて一言も言っていないからね。それはこれからの君の行動次第だってこと、忘れないように」

念を押すように言われた言葉の中に、殺意にも似た感情が含まれていたことを、男は確かに感じ取っていた。



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