妹と兄のハロウィン

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「トリックオアトリート」

 櫂利が大学のレポートに勤しんでいると、ノックもなしにドアが開かれ、了承もなしに妹の莉茉が入ってきた。入って第一声の台詞がこれである。
 ノックがないことも、勝手に部屋に侵入することも、既に諦めていることなので怒りは湧かない。ただ、逆の場合にはどちらも当然のように要求されることが、少しだけ納得いかないというだけだ。

 耳慣れない言葉ではあるが、意味が分からないほどに世間に浸透していないわけではない。Trick or treat、お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ、というような意味だ。ハロウィンというイベントで、仮装した子供達が家を回り、そう言って、お菓子をねだるのである。キリスト教圏で行われているものだと記憶している。
 つまり、一般的に日本では行われていないイベントである。
 それにしても、実に感情の篭ってない言い方だ。本場の子供達はお菓子を得るためにそれなりの愛想を振り撒いて言っていそうなのに、カタカナ英語丸出しの発音で、夕食の準備が出来たと言いに来るようなテンションで話している。ハロウィンに対してやる気があるようには到底思えないが、こんなことを言ってくる時点でやる気がある、と判断すべきだろう。莉茉は興味のないことに対してはその姿勢を貫くタイプだ。

「トリックオアトリート」

 莉茉は櫂利の反応が気に入らなかったのか、もう一度同じ言葉を繰り返した。
 
 この場合の対処法としては何が正しいだろうかと、櫂利は考える。言葉通りにお菓子をやれば満足するだろうか。しかし、甘いものが好きではない櫂利の部屋に、お菓子などという物は常備されていない。渡すお菓子が無ければ櫂利を待っているのは悪戯の方だ。
 とんでもなく厄介な事態になったことを櫂利は悟った。莉茉が仕掛ける悪戯を想像すれば、それは間違いなく櫂利にとって苦痛を伴う筈だ。妹はそういうことに関しては抜きんでた才能を有している。恐ろしいことに。


「受験生なんだから、勉強しろよ」

 逃げたいという一身で発せられた言葉ではあったが、莉茉が受験生であることは事実だった。中学三年生である莉茉は高校受験を数ヵ月後に控えている。

「お菓子が無いなら、悪戯」
「ちょっと、待てって」

 櫂利は慌てる。何かないかと見回したとき、目に入ったカレンダーを見て気づく。
 今日は10月30日。つまり、ハロウィンは明日だ。

「ハロウィンは明日だぞ、莉茉」
「知ってる」
「知ってるなら明日にしろよ」

 安心したような櫂利に、莉茉は片眉をやや持ち上げた。

「当日に言ったら兄が困ると思ったから予告しに来たんだ」
「予告?」

 聞き返した櫂利に、莉茉は頷いてみせた。

「ハロウィンとは万聖節の前日のこと。万聖節を英語でオールハロウズと言い、その前日をハロウイブと呼んでいた。それが訛ってハロウィンと呼ばれるようになった」
「へえ、そうなんだ」
「しかし、今ハロウィンと言えば、子供が菓子を手に入れるためのイベント、とも言える」
「だからお菓子を寄越せと?」
「違う」
「じゃあ何だ?」
「トリートというのはもてなしという意味で、菓子という意味ではない。子供にとってのもてなしが菓子だから、トリックオアトリートの一般的な訳がお菓子をくれなきゃ悪戯するぞ、となっていると考えられる。ということは、相手によってもてなしの内容を変えても良いわけだ」

 確かに、treatを辞書で調べれば、菓子という言葉は出てこない。扱う、もてなす、ご馳走する、という意味の単語である。

「だから満足するもてなしを相手に提供できるかどうか、できなければ悪戯、という取引と解釈できる」
「まあ、そうかもな」
「ということで、明日はもてなしと悪戯をそれぞれ用意し、相手の提供するもてなしに満足出来なければ、考えてきた悪戯を相手にすることができる。以上」
「どこがということでなんだよって、おい」

 莉茉は以上、と言い終わった時点で踵を返し、櫂利の部屋から去っていった。
 この場合、莉茉にとって、櫂利の承諾は必要ではないらしい。いつものことだ。

 勝手に言って、勝手に去って行った莉茉を、暫し呆然と見送り、隣の莉茉の部屋のドアが閉じられた音で我に返った。
 どうやら明日までに、莉茉の満足するもてなしとやらを準備しなければならないらしい。面倒な作業だ。しかし、櫂利はこういった面倒は嫌いではない。嫌いであったなら、莉茉の兄はやっていられないだろう。
 それに、これはチャンスでもある。莉茉の用意したもてなしを自分が気に入らなければ、莉茉に悪戯を仕掛けることができる。
 しかし、莉茉からの悪戯を回避するための何かを考えることが最優先事項だ。
 
 櫂利は莉茉の乱入によって中断していたレポート作成をひとまず中断することにした。




 翌日、10月31日、ハロウィン当日。

 櫂利も莉茉も学生である以上、平日は学校に行かなければならない。ハロウィンを理由に休むことが可能なほど、日本でハロウィンは重要ではないのだ。
 朝のニュースで巨大かぼちゃの話題を放送していた以外は、至って日常の生活があるだけだった。

 勝負は帰宅後。



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