終わり 7
泣きそうになった。どうしてか、はっきり言葉にすることは出来ないけれど、何故か、込み上げてくるものがあった。そして、とうとう堪えきれず、紗耶の頬に涙が伝った。
「何泣いてんだよ」
ぴくり、隼人の手が反応した。濡れる頬に触れ、拭うように撫でる。きっと無意識にそうしようとした手を、隼人は封じた。それは、自分の役目じゃない。
ただ困ったような笑顔を浮かべて、紗耶を見つめる。
「ご、ごめっ……ほんと、何でかな……っ」
隠すように俯いた顔を両手で覆った。申し訳なさとか、不甲斐なさとか、自己嫌悪とか、色んな感情がぐちゃぐちゃになっている。
「ごめんね、本当に……ごめんっ」
「謝んなよ。何か俺、ふられてるみたいじゃん」
隼人は苦笑し、項垂れた紗耶の頭を小突く。一度だけ。
「ちゃんと聞いてた? 好き、だった、って言ったんだけど」
区切って強調された、だった、という言葉が含む意味は、過去であって今ではないということ。
もっとも、過去形にならない限り、この想いを決して口にはしなかっただろう。苦笑を張り付けたまま、隼人は思う。
「自惚れんなよ、ばーか」
「なっ!」
むっと、思わず顔を上げた紗耶に、隼人はにやにやと笑って見せる。そうやって、だからもう泣くなと、言外に言う。
それが伝わったかどうかはわからない。けれど、紗耶の涙は止まり、意地悪げに笑う隼人に拳を振るおうとする。
緩慢な動きのそれを隼人は容易く受け止めて、そして二人で笑い合う。
こんな風に、じゃれ合う日がまた来るなんて思わなかった。成長してしまった自分達は、男女を意識することのなかったあの頃には戻れないけれど、また新しい、幼馴染の関係になれるだろう。
それで、いい。そう思えるようになった。
「ねえ、じゃあ、今は?」
ふと訪れた空白に、紗耶は言った。今、を強調するように。
「あ?」
「いるんでしょ?」
「何が?」
含み笑いで尚も聞いてくる紗耶から思わず顔を背けた。
恍けたように聞き返したけれど、本当はわかっている。そして、瞬間に浮かぶ顔が確かにあることも、わかっている。
「日向さん? F組の」
そうだと答えるには、まだ色々と、承服しかねることがあった。だから、黙る。
けれど、沈黙はときに肯定と同義だ。
幼馴染の恋愛事情は、蟠りがなければ興味深い。聞きたいことは山とあるが、隼人が素直に答えてくれるとも思えず、また紗耶に聞き出す力量がないことも自覚している。こういうのが得意なのは聡司だ。
聞き出すのは今度でいい。二対一で、じっくりと。
「何にやにやしてんだよ。さっきまで泣いてたくせに」
「えー、だって……よかったな、って思って」
へへ、と尚も紗耶は笑う。
ああそうだ、今度は3人じゃなくて、4人で。きっと楽しいだろう。そんな空想を、実現するだろう想像をする。
「悪かったな」
「へ? 何が?」
「んー、まあ、色々」
心配をかけただろう。紗耶にも、そして、城野にも。
それだけじゃない。身勝手に、傷つけた人がたくさんいる。
「隼、人……?」
本当に、誰よりも知っている筈だった。報われない感情と、それを持て余すことの苛立ち。
心の中で謝って、それが伝わることはないけれど、申し訳ないと、心から思う。そして、償いになどならないけれど、もう繰り返さないと、心に誓う。
「ありがとな、聞いてくれて」
好きだったなどと言われて、紗耶にとっては困ることでしかないのはわかっていた。けれど、こうしなければ、前に進めないと思ったから。
「何か、すっきりしたわ」
「……うん」
長年背負ってきた荷物をやっと下ろせたような、そんな開放感があった。腕を伸ばしてそれを味わう。
「さーて、と」
けれど、荷物はまだ残っている。
「聡司、生徒会室だよな」
「そうだと思う」
どうしてと首を傾げる紗耶に、隼人は自分を指で頬を示す。
「謝ってねーから」
「やっぱり! 隼人だったんだ」
非難めいた口調で言うのを不思議に思った。とっくに、知っていると思っていたから。
「聞いてねーの?」
「だって……言ってくれない」
「あー……あいつって、そういう奴だよな」
「本当だよっ! 私にまで転んだなんて言うんだよ。信じられる?」
転んで顔に痣を作るなんて、相当間抜け、そしてある意味相当器用。誰も信じないような言い訳を堂々とするその真意は、詮索するなということ。それは、彼女である紗耶にさえ例外ではないらしい。
全く以って、城野らしいと言わざるを得ない。
「だよなー。一人で何もかもわかったよーな顔してさ。で、事実わかっててさ。黙って一人で溜め込んでさ、ずっげーむかつくんだよ」
思い出したら何だか腹が立って、そんなことを口走ったら、紗耶に睨まれた。
「だからって殴っちゃダメ!!」
「……ごめんなさい」
「もー早く行って謝ってきて!」
「わかった、わかったって!」
紗耶に背中を押され、追い立てられるように教室を出る。
「ちゃんと、仲直りしてね?」
背中に掛けられた言葉に、隼人は振り返らないで手を振った。
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