終わり 4

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 湯飲みに注がれた煎茶から、うっすら湯気が立ち昇る。夏、という季節を考えれば、目の前にあるのは冷えた飲み物である方が望ましい。けれど、隣に饅頭が添えられていれば話は別だ。単純に好みの問題ではあるが、和菓子には熱い緑茶が一番合う。だから、冷蔵庫まで完備された生徒会室で、麦茶を出そうとした城野にすかさずストップをかけた。
 饅頭に対して最大限の礼儀を。それはつまり、例え真夏であろうと熱い緑茶をお供に。
 全て、莉茉の自論だ。莉茉だけの。
 他人に強要する気はない。現に、莉茉は城野に冷たい麦茶を勧めた。
 だがしかし、城野は妙な協調性を発揮して、莉茉と同じように自分にも熱い緑茶を煎れた。それを見て少し申し訳ない気持ちになる。本当に、自分の好みに付き合わせる気は微塵もなかった。けれど、こういう状況下では、城野のような行動を取るものは多いだろう。喫茶店などで注文するのでもない限り、同じテーブルの上で異なった種類の飲み物が出される場合は少ない。
 この行動は何故だろう。同じものを飲むことによって、いくらかの同調性を生もうという心理的な行動、という分析をしてみる。同じ釜の飯を食う、という状況と似ている。そしてその裏にあるのは、その後の展開をいくらかでも友好的に、そして有利に進めたいという願望。
 ちらと、お茶を啜りながら城野の顔を観察する。莉茉と同じように湯飲みに口を付ける彼は、果たしてそんなことを意識しているだろうか。
 くっと、漏れそうになる笑いを押し込める。
 そういう心理が働いている場合もあるかもしれないが、結局、単にわざわざ違うものを用意するのは手間だ、という即物的理由が大半を占めているのだろう。確実に。
 待望の饅頭に齧りつき、無粋な考えをするのはやめようと努めた。今はただ純粋に、饅頭の皮の柔らかさと、餡子の程よい甘味、そしてそれを中和するようなお茶の渋み、そんな至福の感覚に身を委ねよう。
 勝手に緩んでしまう頬をもごもごさせながら、莉茉は饅頭とお茶を交互にせっせと口に運んだ。今の自分は、きっと誰よりも寛大だろうと莉茉は思った。本当に、まさか、あの午前中にはいつも売り切れるという老舗の和菓子屋の、黒糖饅頭がこんなところで味わえるとは思ってもみなかった。果たして饅頭を食べているのか餡子を食べているのかわからなくなるような、1ミリ2ミリの薄い皮と、これでもかとぎっしり詰まった餡子で構成された、全身黒を身にまとった両親が持ち帰ってくるような饅頭を覚悟していたが、これは嬉しい誤算だった。

 至福の時が永遠に続かないのは当然だ。希少価値があるからこその至福か、至福が永遠になった時点で至福たる資格を失うからか。どちらにしろ、饅頭が手の平に納まる程の大きさで、有限である以上、腹の中に移動し続ければいずれ無くなるのだった。
 もう一つ出てくるという奇跡は起きないものかと、密かな期待を持つつ城野を見ると、では本題に入ろうという雰囲気で、湯飲みをテーブルの上に置いた。
 期待は裏切られるものだ、とは誰の言か。

「隼人のことなんだけどさ」
 やっぱりか、と莉茉は思った。城野に呼び止められた時点で、話は十中八九隼人のことだろうとわかっていた。それしか考えられるものがないからだ。城野と莉茉の間に、隼人を通じて以外の関係があるとすれば、文化祭実行委員くらいのものだが、役職にもついていない莉茉に生徒会長が一対一で話をすることなどない。少なくとも、現時点では。
 続く言葉を待ったが、城野は中々口にしない。どう言ったものか、悩んでいるようだ。
 そんな時間を誤魔化すように、ほとんどカラになった湯飲みに手を伸ばし、ゆっくりと一口を飲む。口を付けたまま、ちらと莉茉の様子を窺ったが、隼人の名にこれといった反応は見られない。
 はあ、と城野は小さく溜息を吐く。自分が今からしようとしていることが、ただのお節介に過ぎないことは自覚している。迷惑と、はっきり断じた隼人の言葉を忘れたわけではない。けれど、もしかしたら、という希望が、傍観に徹することを許さなかった。
 そっとテーブルに湯飲みを置き、長めの瞬きをして、莉茉を見据えた。
 不思議と、あの時の心情と似ている、と思った。隼人の気持ちを知っていながら、出し抜くように紗耶に告白したあの時と。
 確実に抱くだろう罪悪感と、しかし、それでも後悔はしないだろうという確信。欲しいものを手に入れたい。今城野を突き動かしているものを挙げるなら、きっと、そんな即物的な感情が一番近いのだろう。
 あの時は、紗耶が欲しかった。その結果、もう一人の幼馴染との関係が破綻するとわかっていても。
 今は、あの時、失ったものが、欲しい。同じものを、とは言わない。再び、あの気安い関係を取り戻したい、などとは望まない。
 見詰め合う莉茉は、決して自分からは話そうとせず、じっと城野を待っている。
 これは偽善だろうか。口開く決意をした途端、何度も心を過ぎった迷いが浮かんだ。
 本当に欲しいものは、罪悪感を消すための正当性ではないのか。
 問う自分と、答えられない自分。ここ数日、二人の自分が頭を回った。
 決着は、つかない。だから、更にもう一人の自分が言う。
 いいじゃないか、そんなこと、どうだって。
 本当に自分は、欲しいのだ。正当性、なんて、裏に隠されているかもしれない、そんな感情じゃなく、欲しいと、思っているのだ。心の底から。

「あいつと、隼人と付き合ったのは、どうして?」
 その問いは、莉茉にとって不可思議だった。愚問、と表現してもいい。少なくとも、先の生徒会室での遣り取りで、これまで隼人に告白して付き合ってきた女子とは違うのだと、それくらいは察することが出来た筈だ。そして、それ以上を知る必要など、城野にはないのではないか。今更、知ったところでどうする。
 そういう莉茉の心情を察してか、城野は苦笑して続ける。
「この間、ここで話してた内容を考えれば、察しはついた。だけど、本当のところはどうなのか、確めておきたいと思ってね」
 本当の、という言葉を、敢えて強調する。その話し方に、莉茉は眉を上げる。益々もって理解出来ないという顔をするが、城野にとって、莉茉が隼人に告白した正確な理由に、一縷の望みを掛けていた。
 恐らくは、莉茉が望んでいたのは自分が居合わせることになってしまったあの場面だったのだろうと城野は考えている。男女関係に関する隼人の振る舞いは、きっと莉茉より知っている。知っていて、それなりに近しい存在であったからこそ、幾度となく苦言を呈してきたのだが、その度に拒絶という形であしらわれてきた。それでもと、踏み込めなかったのは己の弱さ。今更悔いても、仕方ないけれど。
 あの時、もし莉茉が隼人を責めるなり罵るなりしていれば、莉茉の動機は簡単に推察出来た。仰々しい言い方をすれば、それは復讐というやつだっただろう。残念ながら、そういうことが実際にあっても不思議ではない。
 しかし、現実は全く違った。あのときの莉茉は激昂するどころか冷静で、感情というものをほとんど面に出さなかった。それは、強いて押し殺しているというふうではなく、本当に、怒りも悲しみもない、淡々とした様子だった。
 怒りが行動理由じゃないのなら、莉茉を動かしたのは何だったのだろう。ただ諭したかったのだとして、それだけで、一ヶ月も付き合い続けたりするだろうか。
 そこに、何か、感情はないのか。
「誰かに対して意見を言うのは、それはその誰かに期待しているからだっていうよね。どうでもいいと思っているなら、放っておけばいいんだから」
 隼人に対して何の感情も持ち合わせていないのなら、無関心でいればいい。クラスも違うのだ。接点は作ろうとしなければ出来ないだろう。

「ねえ、君は、隼人をどう思っているの?」



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