考察 6

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 二階に上がり、櫂利は莉茉の部屋の前で立ち止る。コンコンと、ノックを二回。返事はない。いない筈がないと、もう一度ノックをする。やはり返事はない。少し待ってみても何の応答もなく、寝ているのだろうかと思いながら、ドアを開けた。
「まだ返事してない」
 櫂利が部屋の中にいる莉茉を視認するより早く、声がした。
「だったら返事しろ」
 呆れたように怒ったように返す櫂利に、莉茉は視線を寄越すこともなかった。ベッドの上に横たわり、持っているぬいぐるみを垂直に投げて、天井に当てては落ちてくるのを受け止める、という動作を繰り返す。
「天井の掃除でもしてんのか?」
 莉茉は再び投げようとする手を止め、持っているぬいぐるみを観察した。真っ白だったぬいぐるみは、ところどころ不自然に汚れている。薄灰の斑模様の白兎。天井というのは意外と汚れているらしい。埃が溜まることはないが、滅多に掃除をすることがない場所だ。そもそも、天井を掃除するという発想自体があまりない。
 そんな莉茉から櫂利が視線を落とすと、思わず眉を顰める光景があった。
 床に置かれた折り畳み式のローテーブルに、かぼちゃプリンが三つ並んでいる。そのどれもが、綺麗に三分の一ずつ姿を消していた。
「おい莉茉! これはどういうことだ?」
 櫂利が怒るのも当然だろう。結果的になくなっているのは一つ分。三つに手を付ける必要性はまるでない。
 しかし、そんな櫂利の様子も、莉茉を動じさせることはない。見ていれば苛々するようなゆっくりとした動作で、上体を起こし、身体の向きを変えて足を床に置いた。そうしてベッドに座った状態で、莉茉は櫂利を見上げる。だからどうした、文句でもあるのか、暗に瞳はそう語る。
 そんな莉茉に櫂利は怯んだ。何かおかしい。
「いや、その、怒鳴って悪かったよ。そんなでかい声出してないけどさ。いきなり怒っちゃ、駄目……だよな、うん」
 弱腰になった櫂利は、どうにか繕うように言葉を紡いだ。その間も莉茉の視線は揺るがない。
「食べる?」
 不意に発せられた言葉に櫂利なその意味を理解しようと暫し止まった。そして、呆れと怒りを身体の内でかき混ぜて、溜息と共に吐き出した。
「あのなあ……手付けたんだから責任とって食えよ」
 もっともな意見だと、莉茉も自覚している。無言のままスプーンを手に取り、残ったプリンを口に運ぶ。
 その様子を少しの後悔と共に櫂利は見ていた。莉茉が手を付けたからといって、食べるのを嫌がるような潔癖性は持ち合わせていない。家族として食卓を共にする以上、そんなことは日常茶飯事であるし、莉茉が食べ切れなかったものを櫂利が引き受けることだってよくあることだ。
 食べられる筈だったかぼちゃプリンが食べられなくて、既にないと思っていたかぼちゃプリンが目の前にある。
 感情的な問題など捨て置いて、自分の精神的満足感を得た方が余程建設的だったのではないか。
 そんな考えに囚われ、そうしている間にもかぼちゃプリンは莉茉の口の中に消えていく。そして全てなくなった。
 元々そんなに大きな物でもなく、味わうことなど二の次で、ただ消化することのみに従事していた莉茉の一口はでかかった。
「気持ち悪い」
 生クリームが入ったプリンは滑らかだ。そして、大量に摂取すれば気持ち悪くなるのも当然だ。
「……何がしたいんだ」
 呟く櫂利を置き去りに、莉茉は再びベッドに横になった。天井に映る白を見る。


 莉茉の部屋を出た櫂利は、少し考えて自分の部屋に向かった。そしてバッグに入りっぱなしだった携帯電話を取り出す。

 莉茉がおかしい。妙に大人しいのだ。
 その事実は莉茉が生まれて約16年の間、兄妹として過ごしてきた櫂利にとって、空恐ろしい事態だった。まるで嵐の前の静けさのようだ。これから何が起こるのか、恐れと不安でもって待っている。
 だが、今回は、もしかしたらだが、どこか違うような気がする。何か良からぬことを考えているような、含んだ感情が欠片も見当たらないのだ。
 まさか、とは思う。しかし、莉茉の状態を考えて行き着く答えは、どうしたって一つだ。

 携帯を操作して耳に当てる。メールでも良かったが、電話の方が手っ取り早いし、詳しく聞ける。そう言い聞かせる。





 櫂利が去っていった後、莉茉はベッドの上で瞬き以上の動きをせずに、変わらず天井を見ていた。
 クモが這っているというわけでもなく、何かに見える模様があるわけでもなく、天井を見ることに意味はない。あるとすれば、視界をただ白いだけのもので埋めることによって、頭の中もそれに近い状態になればと、僅かな期待をしているだけだ。
 しかし、絶えず駆け巡る思考を止めることなど出来はしない。諦めたように、ごろりと寝返りを打つ。
 プリンのカップが三つ、仲良く並んでいる。無理矢理全てを収めた腹は、流石に苦しい。そして気持ちが悪い。
 腹に手を当てる。きっとその先で、プリンがぐちゃぐちゃと胃を占領しているのだ。
 今の頭の中も、それに似ている、と思った。処理しきれないものがぐちゃぐちゃと居座っている。厄介なことに、胃の中身と違って、必ずしも時間の経過が解決してくれるわけではない。
 再び、天井に目を向けた。そして今度は白を視界に入れないように目を閉じる。
 思考が、巡る。

 くっと、笑いが漏れた。
「……面白い」
 くすりくすりと、一頻り笑う。そうだ、こういう展開を自分は好いていた筈だ。



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