考察 5

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 大学生と高校生の一日の生活サイクルは違う。それは、大学というシステムが、小中高とは違って、ある程度、学生の自由度が認められている為だろう。高校までは、学校は当たり前のように一方的に定められたカリキュラムに従って授業を受ける。大学では、必須科目という受けなければならないものもあるけれど、基本は自分で選べるのだ。
 そういったわけで、櫂利が大学に行く為に朝起きて、その時間には既に莉茉は登校した後だったり、帰宅すればとっくに帰ってきていたり、まだ数時間もしなければ帰ってこなかったり、曜日によって様々だ。水曜日である今日は、莉茉より遅く家を出て、莉茉より遅く帰宅した。それ故に起こった悲劇だった、と言えなくもない。

 帰宅した櫂利は荷物を置く為に自分の部屋に直行する。昔から、自分の物は自分の部屋に置くというのが日向家の方針だった。すぐに片すからいいじゃないかと文句を言っても、それを許せば少しくらい少しくらいと、家族の共同スペースであるリビングが忽ち個人の物で溢れ返ってしまうと、頑固に許さなかったのは母だった。自分の娘をちゃん付けで呼ぶような、どこか少女めいた雰囲気を残す母の厳しい一面は、過去を振り返ってもそれくらいで、何だか酷く驚いて不貞腐れた気分になったことを覚えている。
 そういえば、どうして息子である櫂利は呼び捨てなのに、莉茉にはちゃんを付けるのか、未だにわからない。それがずっと当たり前だったので、不思議に思ったことはなかったが、いつだったか、まだ小学生の低学年だった玲奈が、その違いを不思議がって、挙句に真似をして櫂利を呼び捨てにしていた時期があった。
 年下に呼び捨てにされるのは少々腹の立つことではあるけれど、不思議なことに、離れ過ぎていれば然程のことでもない。寧ろ微笑ましくさえ思う。
 そんな子供の無邪気さが許される程の幼い玲奈に対し、莉茉はこう言ったのだ。
 実は自分は本当の娘ではなく、遠い国のお姫様で、悪者に命を狙われているから、日向家で匿って貰っている。きっと、母が莉茉をちゃん付けで呼ぶのは、仮にも一国の姫である自分を呼び捨てには出来ないのだろう。
 傍で聞いていた櫂利と結菜が、いきなり何を言い出すのだとぽかんとしていると、驚いたことに荒唐無稽なその話を玲奈は信じてしまったらしい。それから暫く、莉茉の話が嘘だとわかるまで、様付けで呼んでいた。いくら櫂利と結菜が嘘だと言っても受け入れず、侍女にしてあげるという莉茉の言葉に喜んでいたのだった。
 
 玲奈が素直さを失わずに育ったのは、正に奇跡だと、櫂利は思わずにいられない。兄としてフォローすれば、莉茉は悪気があるわけではないし、寧ろ気に入っているからこそのことなのだ。そう信じている。
 問題は、全くの出鱈目を真実であるかのように話す技術に長け過ぎているということだろうか。将来は詐欺師に向いている、と実は密かに思っている。


 部屋にバッグを置くと、キッチンに行くために踵を返す。
 そういえば、この間の告白とやらはその後どうなったのだろう。不意に練習に付き合わされたことが頭に浮かび、思った。付き合うことになったとは聞いていたが、その後の展開は詳しく聞いていない。表面上は何も変化していないように見えるが、よく観察すれば機嫌良さそうにしていたので、莉茉からすれば上手くいっているのだろうと安心して、同時に相手にとってはどうなのかと少し心配した。
 そしてもう一つ、櫂利にとっての心配事項は、仮にも高校生の男女がお付き合いをするのだから、その延長線には色々あって、つまりはあの莉茉が、そういうことを経験するのかと思うと何やら複雑な思いに駆られるわけで、しかし莉茉が告白をしたのは決して相手を好きだという当然の理由ではないのだから、そこまでの関係にはならないかもしれないけれど、それは莉茉にとっての理屈で、相手にとってはそうではない。そうしたらそうなってしまうのではないのか。相手は男で、莉茉は女だ。力関係ははっきりしている。残念ながら男を凌駕する程の筋力は持っていない。そう考え出すと、途端にもの凄い不安に苛まれてしまうのだが、実の妹の莉茉の人間性を思い出せば、そんなのは要らぬ心配だとも思える。だがやはり人間性だけでは回避できないことだって存在するわけで、そうなったらやっぱり駄目なんじゃないか。

 はっと気付くと、部屋のドアノブを掴んだまま思考の渦に飲み込まれていた。櫂利は振り払うように首を振って、ドアを開けて階段を下りる。そしてふうと溜息を吐いた。
 高校生になったというのに、相も変わらず妹は兄を心配させる。


 キッチンに入り冷蔵庫を開ける。目的の物を探す為に中を覗き込んだが、生憎見つからない。はてと内心首を傾げ、丹念に中を探してみたが、やっぱり無かった。
「母さん、かぼちゃプリン無かった?」
 櫂利は普段甘いものを好まない。だが例外もあって、かぼちゃやさつまいものお菓子は好んで食べた。大学へ出掛ける前に、冷蔵庫に入っているのを発見し、帰宅したら食べようと密かに楽しみにしていたのである。母が買ってきたのであろうそれは三連タイプの物で、とっくに帰宅している莉茉や母が食べていても、少なくとも一つは残っている筈だった。父はまだ帰宅していないから食べようがないし、第一櫂利以上に甘いものを好まない父が食べるとは思えない。
 しかし、実際にはある筈のかぼちゃプリンは姿を消していた。冷蔵庫に詰められた他の食品を掻き分けてみても、その存在を確認することは出来ない。
「えっと、実はね、莉茉ちゃんが食べちゃったの」
 言い辛そうに口を開いた母に、しかしと櫂利は反論する。
「三個も?」
「お兄ちゃんに残しておいてって言ったんだけどね、何でもかぼちゃプリンを3つ食べないと精神の安定を得られない非常事態だって言うの」
「はあ? 何それ?」
 どんな事態だよ、と突っ込みたいが、それを母に言っても仕方ない。それ以上の言葉を飲み込み、探しても無駄なことが判明した冷蔵庫を閉じる。
「三つも食べたら気持ち悪くなっちゃうのに」
 心配だ、と莉茉がいる二階を見上げる母は、相変らず娘第一主義だ。楽しみにしていたかぼちゃプリンを奪われた息子に慰めはないらしい。まあ、大学生にもなって母親の情けが欲しいわけでもないのだが。
「また買ってくるから」
 一応フォローはあった。しかし、それがいつになるかは近所のスーパー次第だ。
 かぼちゃプリンの存在は、安かった、という非常に経済的思考に基づいている。加えて、今日は安いから買いに行く物ではなく、買い物に行った時に偶々安くて、買ってもいいかなという気になったら買う物のリストに入っている。
 正直そこまで切望していたわけではないのだが、食べる気になっていたものを食べられないという状況は、どうにも落ち着かない。
 この不快感を解消する為に、後でコンビ二にでも行ってこようかと考えながら、莉茉に一言文句を言う為、櫂利は二階へと上がっていった。



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