理由2 8
莉茉の座るソファは革張りで、恐らく合皮と思われる柔らかさだった。いくら合皮と言えど、学生が使う教室にはそぐわない。
どう贔屓目に見ても、新品とは思えないそのソファは、校長室からのお下がりだった。このソファがいつ生徒会室にやってきたかを莉茉は知らない。だから、校長室にあるソファが新品であるかどうかはわからない。だた、そうである可能性が高いだろうことを推測するだけだ。
校長室に赴けば、事実を確かめることができる。そうそう校長室に用事など出来ないが、廊下に待ち伏せて、ドアが開いた隙に確認することは出来るだろう。感触までは確かめられないが、遠目からそれが新しいか否かを判断することくらいは出来る。
問題は、そこまでして確かめる意味があるかどうか。
どう考えてもない。校長室のソファが新品でも、座るのは校長と、その客人だ。莉茉には関係がない。新しいソファの座り心地に、校長がほくそ笑む姿を想像してみても、寧ろ多少気分が悪くなりそうだ。
でもきっと、莉茉は確かめる。
無駄だとか、意味がないとか、それこそ莉茉には関係がない。そんなことに拘り続けていたら、きっと何も出来ない。
「これまで君に告白してきた人の中には、興味本位の域を出ない、軽い気持ちで君と付き会おうと、そう告げた人も確かにいただろう。それでも、本気で、君を好きで、本気で告白してきた人だっていた筈だ」
きっとあの子は、本当に本気で好きだったんだろう。だから、あんなに傷ついていた。
あの綺麗な弓引き姿が、見れなくなってしまったことが残念でならなかった。だからといって、莉茉に出来ることは何もない。する必要もなかった。
「それを君は御座なりな付き合いで、切って捨てた。きっととても傷ついただろう。好きな相手に振り向いてもらえない気持ちは君が一番良く知っている筈なのに。君が、自分本位な理由で傷つけた人間は一体何人いるんだろう」
時として、人はとても無邪気に誰かを傷つける。言葉という凶器で。
償いも贖罪も、莉茉は要求しないし、その立場にない。ただ、知って欲しかった。
傷ついて躓いて、また歩き出すための、労力と時間。その尊さと美しさ。
「君は、いつまでそこに留まり続けるんだ?」
あの子は真っ直ぐ前を見据えて進んでいるのに、いつまでも立ち止まって振り返ってる。きっと、莉茉にはそれが苛立たしかったのだ。だからこんなに、珍しく感情的になっている。
チャイムが鳴る。
そういえば告白を終えて、一人教室にいる時も、チャイムが鳴った。
「丁度一ヶ月、か」
呟く声は、チャイムにかき消された。
黒の合皮のソファに手を突いて、ゆっくりと立ち上がる。それに、びくっと反応したのは、可笑しいかな、隼人と城野の二人ともだった。
「そうだ、別れるんだったよな」
別れる場合はどうするのだったか、そう考えても莉茉の頭には浮かばない。玲奈の漫画の中には、別れるパターンの話はなかったのだ。
頬を叩くシーンがどこかにあった気がするが、ここで隼人を殴るのはどうなんだろう。些か唐突過ぎないだろうか。
考えても適切な答えが浮かぶわけでもなく、意に反してどこかぎすぎすした終わり方になってしまった罪悪感も手伝って、少しでも円満に去って行こうと決意する。
「この一ヶ月、中々楽しかったよ」
じゃあと言って、莉茉は生徒会室を去る。後に残された二人のことなど、もうどうでもいいというように。
ピシャリと、ドアが閉まる音が、残された生徒会室に長く響いた。
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歩く廊下は、微かに朱が混じった陽が射し込んでいる。ふうと息を吐き出した莉茉の様子は、その景色と良く合っていた。
疲れていると感じる。これでも、この一月気を張っていたのだろう。
自分の言った言葉を振り返ってみる。中々、というのは余計だったかもしれない。楽しかったと、それだけ言った方が印象が良かった筈だ。こういうところが、兄に捻くれていると評される要因だろうか。
それにしても、これから修羅場だろうかと、去ってきた生徒会室を思う。
「……塩大福まだあるかな」
家路に着く莉茉が呟く。思考を切り替えようと努めた結果、浮かんだのは塩大福のことだった。
休日は午前中で売り切れてしまうくらいの商品だ。恐らく無いだろうとわかっていても、未練がましく呟いてみる。
もしあったら、何か良いことがあるかもしれない。そう考えて、ふと気付く。これではまるで、何か自分に悪いことがあったみたいじゃないか。そんなことはないのに。
久しぶりに一人で歩く道は、景色が少し違った。
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