理由2 7
真っ直ぐに隼人を射抜く莉茉の視線が、痛いほどに突き刺さっている。そんな錯覚を覚える。
正に錯覚なのだが、その中でも限りなく現実に近い錯覚と表現してもいいかもしれない。それ程に鋭いのに、不思議とそこに感情は込められていない。ただ見ている。視界に映す必要があるから見ている。
だから、ただ純粋に、視線そのものが刺さっている。それが痛い。
今の莉茉の言動は、確かに隼人が知っているものとは違う。でも、その目はきっと、いつか見たことがあるものだ。垣間見えた一瞬の、素の莉茉を捉えた隼人が、見ていた筈のもの。
「私は、君の生き方をどうこう言うつもりはない。君の行動を決める権利は君自身にしかないし、それで得られるものも全て君のものだ。得られるものがどんな類のものでも。だから、私は一見不誠実だと思われる交際の仕方も、非難する気もないし、改めろと言う気もない。その行動を理解することは出来ないが、そうだな、君にとっては男女交際の経験値を得ている、とでも考えれば、納得することは出来る」
そんなつもりはない、そう隼人が反論するのを見越したように、莉茉は片手を挙げて、手の平を隼人に示す。まあ待て、そういう意思表示として。
「でも、どうやら違うらしい、ということに気付いた。寧ろ君は失っている。面白いことに」
何を言っているんだろう。意味がわからない。
そもそも、何も手に入れていないのに、何を失うというのか。
心情が表れるように、隼人の顔が歪む。それは、困惑なのだけれど、それ故に、不機嫌な顔だ。
「不謹慎な言い方だったか。すまない。単に、予想に反した答えというものが面白いと感じただけだ。可笑しかったわけじゃない」
参ったな、と莉茉は今更に思う。
始めた当初、こんな終わり方をするつもりはなかったのだ。別に、具体的な最後をイメージしていたわけでもないのだが、少なくとも、これでは目的が違う。
予想通りに事が運ばないことは、それなりに面白い事態だが、予定より大事になるのは少々頂けない。
しかし、始めてしまった以上、終わらせることは莉茉の義務だ。
「もしかしたら、君には自覚がないかもしれないな。それに、失っている、という表現でなくてもいい。ある意味、得ているとも言えるし」
座っている莉茉は、隼人を見上げている。
立っている隼人は、莉茉を見下ろしている。
たとえ莉茉が立っていようと、二人の身長差では、現状は変わらない。だが、不思議なほど違和感がある。当たり前の構図が、どこか不自然だった。
それは、そこにある空気が、そう感じさせているのだろう。きっと、目を閉じれば、高い場所にいるのは莉茉の方だと、何故かそう思わせる。そんな張り詰めた空気。
莉茉は一旦口を噤み、暫し逡巡する。
険しい顔をした隼人を見ると、不思議と気分は穏やかになる。それはきっと、連想して思い出す映像があるからだ。
好んでよく見る、弓道部の練習風景。乱れた矢筋、落胆する顔、叱責する声、項垂れる姿。
高校生の自分たちは、所謂多感なお年頃だ。だから迷い、悩み、立ち止まる。それでいい。そうして、それでもと、乗り越えて進んでいく姿は、何より美しい。
そう考える自分は、多感なお年頃らしくないな、と思う。だから、美しいと思うのは、少しばかり羨望も入っているのかもしれないと、自嘲する。
全てを振り切るように、きつく的を見据え、矢を射った瞬間の、名も知らぬ彼女の笑顔が、とても綺麗だった。
だから、隼人を見た莉茉は、少し腹立たしくなった。そして、残念に思えた。
「君は、無駄だったと思うか?」
「……何が?」
「手に入らないからと、自棄を起こした自分の行動が」
隼人は答えない。答えられないと言った方が正しい。正直、まだ混乱の中にいたのだから仕方ない。
無駄だ、と問われれば、無駄だった、と思う。何の意味もなかった。どうでもよかった。
無駄だったのだ。告白されて、断るのも面倒で、付き合って、うざったくなって、別れて、の繰り返し。全部全部無駄だった。
勿論、この一ヶ月、莉茉と過ごした日々も。
聞いておいて、莉茉は答えを求めない。答えが必要なのは莉茉ではない。そう、知っているから。だから、隼人が何も答えぬ内に、話を続ける。
「無駄だと思うなら、そうと知っていながら、続けるのか。無駄でないと思うなら、そこにどんな意味を見出すのか」
自分と過ごした時間は無駄だったのか、無意味だったのか、無価値だったのか。そんな馬鹿げたことを聞いてみたい気がした。莉茉にとっては、実際のところ無駄に近くて、それでいて意味も大してなくて、でも、価値があった。
無駄なこと、意味のないこと、そんなことが、莉茉は好きだ。そういうことに、敢えて時間を割きたいと思う。そう思わせる何かを、常に莉茉は探している。
今回莉茉が見つけたのが、隼人だったのだ。
「無駄だ。全部な」
吐き捨てるような、隼人の言葉。でもどこか、不貞腐れているような、子どものような、そんな口調。
それを聞いて、莉茉は笑った。何故か小さな痛みがあって、それが不思議で、可笑しかった。蟻にでも噛まれたような、小さくて、意表をつく痛み。
気持ち前屈みになるように、体重を前に移動する。ソファがキシと、小さな音を立てた。
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