理由2 1

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 いくらでも避けられる術はあった。例え莉茉がアスリート並みの反射神経を持ち合わせていなくても、高校生女子の平均からやや劣る運動神経しか有していなくても。少し顔を傾けるとか、手を翳すとか、しようという意思があればいくらでも出来たのだ。
 まして、それは実際の速さよりゆっくりと進むように錯覚された。まるでスローモーションのように。にも拘らず、指を曲げることも、瞼を動かすことも出来なかった。

 蛇に睨まれた蛙。恐怖で身が竦み、身体が硬直して動かない。

 蛙は、こんな状態を味わったのだろうか、と考える。しかし、莉茉が感じているのは恐怖ではない。それでも、得体の知れない感情が、身体の動きを鈍らせたのだとすれば、それは恐怖と言えそうだ。

 間近で見る隼人の顔は、成程と納得するほど整っている。しかし、間近過ぎて見える範囲が狭い。
 肌が綺麗だ、と先ず始めに思った。触ったら気持ち良さそうだ。

 隼人の顔が離れていく。近づいてくる時と同様にゆっくりと。

 行動を起こしたのは自分なのに、隼人は驚いたように目を見開いて、莉茉の顔から目を逸らした。
 見るに耐えない造作をしているとは自分でも思ってはいないし、これまでの人生の中で指摘されたこともない。恐らく理由は別のことだろう。
 口に手を当てる隼人の横顔は、うっすらと赤みを帯びている。

「駒川君」
「な、何!?」
「もうすぐ予鈴鳴るよ」
「あ……そうだな」

 梅雨ももうじき終わる。その前触れのように今日はからりと晴れた。昼休みの中庭は、弁当を食べる生徒で賑わっている。数分で予鈴が鳴ろうとしているため、まだ残っている生徒は疎らだ。しかし、零ではない。
 加えて、中庭に面した校舎の窓からはその様子がよく見える。

 こういうことは、人前ですべきことではないな。そんな常識的なことが思い浮かんだが、こういうこと、にどういう反応をするのが適当なのか、莉茉には思い付かなかった。
 教室に戻る道すがら、唇に指を当てた。ただ、不快ではない、そういう結論が自分の中で出た。


 今度、玲奈に会ったら、ファーストキスがレモンの味がする、というのは少なくとも莉茉には当て嵌らなかったと報告しよう。そもそも、唇には皮膚感覚しかないのだから、味など分かろう筈がない。人体の味覚器官は主に舌だ。舌が接触する可能性があることは知っているが、それはファーストキス、では低いだろう。
 では、レモン味と喩えたのは何故だろう。甘酸っぱい、そういうイメージを持たせたかったのだとすれば、果たしてレモンで正解だろうか。
 実際にレモンを食べれば、ほのかに甘いと、感じないこともないが、やはり酸っぱいというのが大部分を占める。

「莉茉、飴舐める?」

 教室に戻った莉茉に、結菜が飴を投げて寄越した。有難く頂戴し、包みを破って中身を口に放る。イチゴミルク味だ。

「成程、苺、か」

 ぽそりと呟いた言葉に、結菜がイチゴミルクだと反論する。


 莉茉は玲奈に報告する内容を訂正することにした。


 ――ファーストキスは苺の味がする。

 ファーストキスがレモン味、というイメージが一つの文化だとするならば、文化は変化するものだ。だから、たった今から苺味だと言ってもいいだろう。




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 自分の目に映ったものが信じられなかった。
 窓の外を眺め、どうしようもない焦燥感が沸き起こる。いつもと同じだと思っていた自分の考えが、ガラガラと崩れていくのを感じる。

 どうして、あんな風に笑っているのだろう。
 どうして、自分から、キスを、したのだろう。

 私には、してくれなかったのに。

 あの子は違うというのだろうか。

 自分とは違う。
 今までの女とは違う。


 そんなこと、納得できない。
 出来る筈がない。


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