始まり 4

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 ピーク時を過ぎても衰えない陽光が窓から射し込んでいる。梅雨もそろそろ明けようかという、夏の盛りが近付くこの季節、空に朱を見るのはまだ先だ。
 隼人が莉茉を連れてきたのは視聴覚室だった。部活で使用されない為に人気はない。加えて絶対の防音を誇る。
 他の誰かに聞かれないという状況は多少でも安心感をもたらすのではないかと期待したが、唯一人が聞いているということに変わりはなく、大した精神安定効果はないようだ。他の教室より重いドアを閉めながら、隼人はそう思った。
 莉茉は持っていた鞄を手近な机の上に置き、振り返って隼人を見た。そのままじっと視線を止めて、促すように黙っている。
 話があると言ったのは隼人で、だから話すのは隼人だ。そんな当たり前のことに忠実であるように、莉茉の口は閉じられている。

 意識して呼吸をする。深呼吸なんて大袈裟なものにはならないように、けれど無意識の呼吸よりは心を落ち着けるように。
「昨日は、さっさと帰るから」
「何か問題が?」
「あ、いや、別に」
 正直、あの時点では色々と心の準備が出来てなかった。だからあれで良かったような気もするが、しかしあのまま勢いで事を進められたんじゃないかとも思えた。そうしたらこんな緊張を味わうこともなかったんじゃないかと。
 告白なんて何度も経験している。それこそ腐るほど。
 けれどする側は初めてだ。紗耶にしたのをカウントすれば二回目だけれど、あれは何というか、けじめのような弔いのような、相手の反応を気にしないものだった。だからノーカウントでいいと思う。だから初めて。
 また申し訳ないという気持ちが浮かんできた。まさかこんなに緊張と不安を強いられるものだったとは。今莉茉がかつての自分のような態度だったら、とてもじゃないが何も言えない。

 莉茉はじっと、隼人を見ている。その瞳に期待が込められていればいい。けれど何もない。被写体を映すレンズがあるだけだ。脈がある、なんて妄言を吐いた馬鹿を罵りたい。

 目を瞑る。息を吐く。
 事前の儀式であるかのように。

「好きです。付き合ってください」

 この部屋は他の教室よりも広い。そんな部屋に二人きりで、しかも音響に関して特別な設備がされている。だからか、それとも考え過ぎか。声は嫌になるくらい鮮明で、残響が辱めのように響く。

 本当にもう、心底思う。二度とやりたくない。



「は?」
 思いもよらないことを聞いた。そんな顔で莉茉は隼人をを見る。その真意を探るように。
 告白に返される答えというのはイエスかノーか。後者ならへこむ。しかし、疑われるというのも、へこむらしい。
 加えて、多大な労力を要してようやく口から絞り出した言葉をもう一度言うなど、拷問でしかない。
「君が好きなのは真中紗耶だろう」
 更に、隼人の言葉が詰まる。それは事実だ。そしてそれを莉茉が知っていることは、あの時にわかっていた。
 今更だ。だというのに、どういうことだろう。隼人は今、想定外のダメージを受けている。
 思い返せば、莉茉は一度としてはっきりと明言したことはなかった。だから、莉茉の口から紗耶の名が出たというただそれだけが、こんなにも衝撃なのだろうか。
「や、それは、確かにそうだった、けど……今は、違う」
 隼人の弁解に、莉茉は首を傾げる。隼人が紗耶を好きだということは、他でもない莉茉自身が確認したことだ。それも、つい最近。過去と表するような昔の出来事ではない。それなのに、今は莉茉が好きというのは、どう考えても不自然だ。

 納得していない様子の莉茉を見て、隼人は苛立つ。
「しょうがねえだろ、何かいつの間にか好きになってたんだから! 俺だって不思議だっての」
 言って、思わず本音を零してしまったことを自覚し、照れ隠しか、不貞腐れたように隼人はそっぽを向いた。
「私が君と付き合ったのは一か月程度だ。その前は知り合いですらなかった」
「だから、何だよ」
「そんな短期間で、恐らくは長年引きずり続けてきた幼馴染から、ぽっと出の私に心変わりするというのは些か現実的ではない」
 正論だ。しかし、人の心について、常に正論が当てはまるかと言えば、答えは否だ。
 隼人は決して長いとは言えない日々を振り返る。
 今度は地味だ。莉茉に初めて会った時、思ったことはそれだけだった。
 名前さえ碌に覚えようとはせず、それ以上を知ろうともしなかった。そんなことをしても無駄だと知っていたから。どうせそう遠くない未来には何の接点もない他人になっているのだ。
 そんな隼人に、莉茉は少しずつ入り込んできた。じわり、じわりと。
 押し付けるような強引さも、流れるようなさり気なさでもない。莉茉が落としたものを勝手に隼人が拾った。そんな風に、隼人の中にあった空ろなものが、気付けば満たされていた。
 好きだと自覚したのはずっと後で、認めるのにはとても時間がかかった。
 守ってやりたい、紗耶に抱いていたのはそんな幼い感情だった。けれど、莉茉にそんなことは思わない。

 ただ、見ていたいと思ったのだ。本当に楽しそうに笑う、その笑顔を、見ていられる立場でいたいと思った。



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