始まり 3

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 時刻はもうすぐ五時になろうとしている。先程まで確かに三人いた筈の生徒会室は、その密度を減らしていた。いるのは隼人と城野の二人だけ。
 時間だという一言を残して、莉茉はさっさと生徒会室を後にしてしまった。引きとめる隙も与えず、あっさりと。

 取り残された男二人には、何とも表現し難い、あえて言うならガッカリ感か、そんな感情が沸き起こった。
 何となく、良い雰囲気だと思ったのだ。まさかあんな数十秒の会話で終わりとは、思ってもみなかった。

「何か、前途多難……」
 思わず隼人は呟く。
 何かを期待するような、そんな空気だと思ったのは気のせいだったのだろうか。勿論、こんな、城野の目の前でどうこうするつもりもなかったが、もう少し今後の展望というか、そういうのがあっても然るべきシチュエーションだったような気がする。
 あっさりと背を向けた莉茉を思い出し、隼人は溜息を吐く。予感というよりは確信だが、紗耶なんかより余程厄介な相手を選んでしまったようだ。

「まあ、脈はあるって」
 慰めのような城野の台詞も、今の隼人には効果がない。
 けれど、城野は一応確信を持った言葉だった。ある過去の瞬間では、自信を持って断言できた。諸事情により、現在では曖昧さを多分に含んでしまっているが。

「あー、ったく」
 がしがしと乱暴に頭を掻いて立ち上がると、隼人は帰ると言ってドアに足を向けた。
「どうするんだ?」
 投げかけられた問いを。隼人は背中で受け止める。
 答えぬままドアを開け、閉じる前に小さく一言。
「逃がすか」

 ぴしゃりと勢いよく閉められたドアを暫く城野は見つめていた。次いで、噴き出す。
「すごい捨て台詞だな」
 一頻り笑って、はっと息を吐いた。とりあえず、これで自分の役目は終わりだと、安堵して。




 翌日、莉茉はいつものようにチャイムが鳴るぎりぎりに教室に滑り込んだ。眠そうなのを隠そうともせず、半分瞼が落ちた状態で自分の席に着く。そしていつもの通り、朝のホームルームの内容は莉茉の耳を素通りしていった。
 全てがいつもと同じ。そう見える。しかし、そうでない者が一人いた。
「どうしたの? 何かあった?」
 いつの間にかホームルームは終わり、目の前には結菜が立っていた。
「何故?」
「わかるわよ。いつもと違うの」
 何年幼馴染やってると思ってるのと、結菜の目はそう語る。そしてその奥には隠しようもない期待が見えた。あの顔だけ男がやっと動いたのかと。
 何となくだが、莉茉の雰囲気が柔らかいような気がしたのだ。何か良いことがあって、それを喜んでいる。そんな気が。
「まあ、ね」
 莉茉は肯定する。やっぱりと興奮して詳細を訪ねようとした結菜は次の瞬間開きかけた口を閉じることになる。莉茉の一言によって。

 曰く、
「不機嫌だ」

 予想が外れ、結菜はどうしようと、目が泳いだ。
 そんな結菜を莉茉は相変わらず眠そうな目で見ていた。そして仕方ないと思う。今の結菜にはフィルターが掛かっているのだから。目に映る事象を贔屓目に見てしまうのだろう。
 それは何故か。同時期から同じような現象が起こっている、莉茉にとって不本意ながら最も身近な存在に位置する者と関連して考えれば、推察は容易だ。簡単過ぎて敢えて確かめようという気が起きない程に。
「どうしたの?」
 しゃがんで机に腕を置き、莉茉の目線に合わせるようにすると、結菜は心持ち声を潜めて言った。
「間に合わなかった」
 こくり、結菜の喉が動く。
 過るのはこの前対峙した時の隼人だ。まさか結菜の挑発が逆に作用してしまったのだろうか。
 例えば、噂に嫌気がさして前と同じように告白を受けた、なんてことは。
「テレビに」
「……は?」
 恐らく、意図して間をおいて答えた莉茉の言葉を結菜は直ぐに咀嚼することが出来なかった。辛うじて間の抜けた声を漏らす。
「5時から見たいのがあった」
 理解が及び、真っ先に浮かんだのは怒りで、そして脱力感。
 変な期待をしたのは結菜の勝手なのだ。莉茉の預かり知るところではない。
「残念だったね」
 感情の起伏を水面下に隠し、なるべく同情しているように聞こえるように努力した。
「別に。録画してたから」
「だったら問題ないじゃない!」
 莉茉は頷く。
「結菜が聞いたんだ。だから答えた」
 結菜がいつもと違うと言ったから、長年の幼馴染がやけに自信ありげにそう言うから、莉茉は昨日の出来事を思い返して答えたのだ。
 実際、莉茉はいつも通りだった。違うのは結菜の方なのだ。
 フィルターが掛かった当初はそれが分厚過ぎて視界を曇らせていたが、今やっと少しクリアになってきた。そうして見える景色は、いつもと違って見えるだろう。ただそれだけのこと。
 そういうことを莉茉は冷静に分析したが、事細かく説明してやろうという気にはならなかった。結菜だって言ってないのだから、莉茉が親切に言ってやる必要はどこにもない。
 結果的に結菜が怒ることはわかっていた。これは言うなれば、ちょっとした意趣返しみたいなものだ。

 チャイムが鳴った。何か文句を言ってやろうという結菜の口を塞ぐように。



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