始まり 1

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 未だに答えの出ない命題がある。高々二者択一の簡単な問い。
 きっと永遠に答えなど出ないのだろう。これまで何度も考えて、出た結論はそれだった。
 そして、性懲りもなくまた考えるのだ。


 饅頭を片手に、滑らかに濾されたこしあんの、蛍光灯の光を浴びて輝くその様をじっと見つめ、莉茉はその動きを止めた。全体の大きさから考えて、残りは6分の1といった程度。どんなお上品なお嬢様でも、一口に食べてしまえる、そんな大きさ。
「どうかした?」
 静止した莉茉を訝しく思ったのか、城野が声を掛けた。それに反応したにしては随分と間を置いて、かつゆっくりと、莉茉は城野を見る。
「考えてた」
 真剣な面持ちで莉茉は言う。隼人がやってきた時のことでも考えているのだろうか。城野は気持ち、前に身を乗り出した。
「何を?」
 まるで、勿体つけるように、莉茉は間を置く。それは否が応なしに、相手にある種の期待感を抱かせる。
 だが、その通りになるとは限らない。

「最初の一口と最後の一口は、どちらが美味しいのか」

 真剣に考えていたのはじっと見つめていた饅頭のことだったらしい。
「…………それ、今考えること?」
 何だか損した気分になりながら言うと、莉茉はどうしてそんなことを聞くのかと目を見開いて、驚いた意思表示をしてみせた。
 莉茉にしてみれば正しく、愚問だ。饅頭を手にしている今こそ、考えるべき命題だというのに。

 再び莉茉は饅頭に視線を戻す。そしてお茶を一口。そうしてなるべくニュートラルな状態にする。
 饅頭を口に入れ、咀嚼し、飲み込む。

 目を瞑って視覚情報を遮り、耳を塞いで聴覚情報を遮り、考える。
 やはり、答えは出ない。

「君は、何ていうか……」
 変わってる、という言葉を城野は飲み込んだ。女の子に対して言うことではないという常識的な判断に因るものだったが、言ったところで、莉茉は傷ついたりしないだろう。
 最早感情を左右されることがない程、言われ慣れている。主に、結菜に。

 推測できるから、という理由でも何でもなく、気にならないから、莉茉は先を促すことをしない。ただ、口内に残る甘さを中和するために、お茶を飲む。ずず、と音を立てながら。

 そうして、莉茉にとってはまったりと、城野にとっては少々不可解な時間が流れ、約束の30分を5分残したところで、ドアをノックする音がした。
 どうぞと城野が促す声に反応して、ドアが開く。




「突っ立ってないで、入れば?」
「あ、ああ……」
 再び城野に促され、隼人は生徒会室の中に入った。だが、入ったところで止まってしまう。
 ここへ来たのは城野に会うためで、会って話をして、謝ろうと、確固たる目的を持って、生徒会室のドアを開けた。やるべきことは、決まっている。すんなり行動に移せる、筈だった。この、想定外の存在がいなければ。

 隼人の目には、向かい合って座り、呑気にお茶を啜っている莉茉と城野。あの時、そのままの構図だった。
 まるで、デジャビュ。

「何で、いるんだ……?」
 莉茉を見て問う隼人に、答えたのは城野だった。
「俺が呼んだんだ」
 莉茉は隼人を見なかった。恨めしそうな顔をして、テーブルに置かれた空き箱を見つめている。
「まあ、座れば」
 隼人は隼人で城野を見ないまま、自分の存在を無視し続ける莉茉を見つめ、その隣に勢いよく腰を下ろした。
 当然、その勢いでソファのスプリングが跳ねる。莉茉の体が跳ねる。
 揺れる体の原因は何か、莉茉が隣を向けばいつの間にかそこに隼人がいた。それも、かなり近い位置に。
 詰めれば三人は座れる大きさはある。けれどそのソファは二人掛け。座るのが一人だからと、その中央に腰を下ろすのは、別に珍しくも何ともない。莉茉もそうだった。
 その場合、左右の空いたスペースは丁度一人の人間が座れる程度。既に座っている人間がどちらかに避けなければ、限りなく密着した状態を強いられることになる。
 だから、近い。

 莉茉は隼人の存在を確認すると、次いで壁に掛っている時計を見た。
「間に合ったか」
 ふむふむと頷いて、けれど莉茉は座り直すことをしない。わざわざ動く必要もない、と判断する。
 そんな莉茉を一瞥し、隼人は一先ず、城野に向き合う。
「どうして呼んだんだ?」
「彼女、文化祭実行委員なんだ。その関係で、ちょっとね」
 想像していた答えではなかった。それが嘘だ、とは言い切れない。隼人は莉茉が何の委員会に入っているのか、知らないのだから。
 ちらりと視線を横に戻す。莉茉は再び箱を見つめていた。
「日向さん? どうかした?」
 城野も不思議に思ったらしい。問い掛けに答えるように莉茉は薄く口を開いたが、結局何も言わずに閉じてしまった。
「いや、何でも」
 莉茉はようやく箱からの興味を切り離し、改めて状況を意識した。そして、隼人との近過ぎる位置関係を修正する。莉茉、隼人、城野を頂点に、正三角形になるように。
 その方が誰にとっても状況を把握しやすい。近過ぎると見えづらいのだ。
 そうして距離をとって、見た隼人の横顔に、これまでになかったものを見る。否、逆だ。これまで巣食っていたものが消えていた。
 どこかで見たことがあると思った。思案せずとも、それはすぐに思い出せた。
 真っ直ぐ射抜くように、前を向く目。事実、それは比喩でも何でもなく、的を射抜かんとしていたのだけれど。

 莉茉と別れてからの短い期間で、一体何があったのだろうかと思わずにはいられない。どんな変化が、隼人の中で起こったのだろう。
 いずれにしても、好ましい変化には違いない。
 そして、唐突に湧き上がる感情があって、莉茉は少々戸惑う。
 嬉しいとか楽しいとか、そういう感情に似ている。けれど同時に、胸を締め付けるような不快感がある。
 そんな中、はっきりとわかることが一つ、あった。

 自分はきっと、この顔が見たかったのだ。



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